てのひらを、かえして

知的怠惰の集積地よりお送りする、手斧と料理のふんわりブログ。

コンビーフと野菜の卵焼き。

 食器棚の構造上、後入れ先出し法にならざるを得ないのが精神的衛生によろしくない。

 数年前に買ったニトリの軽くて割れにくいレンコン柄の大皿がそれだ。ちょっと深さがあって家族全員分の料理を作る用の大きいフライパンからそのまま移すのにちょうどいい。この利便性によって奴の酷使が続いている。
 手皿用の小皿ならいいのだ、家族全員で食卓を囲み、おおよそ残弾の半数以上を使うのでローテーションになっている。しかし奴の場合一枚しかなく、使っては食器棚の一番上に置き、一番上にあるのでそのまま使ってしまう。

 この大皿の前任者が黄色で深めの皿で、同等かそれ以上に酷使されていた。この「深さがある」と言うのがポイントだ。焼こうが煮ようが炒めようが油かタレか煮汁か何なりと液体が染み出してくるので深さがなく平べったい皿では配膳時に脇に逸らして汚すのではないかと不安になってしまう。柄的にはローソンでゲットしたからあげクンの皿が使いたいがこいつはかなり薄平べったくて不安になるので是非ローソンの担当者は再検討してもらいたい。

 なにが精神的によくないかというと下の方の皿を、ここしばらく洗ってないので! 今度使う前には洗ってからにしないよな、と考えてそれが面倒でなおさら例の大皿に依存しそうなのがいやなのだ!
 このニトリの皿のシリーズは本当に使いやすい。今のラインナップは柄が違うが、たぶん今でもあるはずだ。結構な大皿なのに軽い。薄い。そしておそらく割れづらい。落としたことないからわからないけど。使いやすいので帰省時に実家に紹介したら速攻でニトリに買いに走り、次の帰省時には普段使いの皿がほぼこれになっていた。

コンビーフと野菜の卵焼き。


材料

卵 M2個
ピーマン 1個
人参 1/3本
コンビーフ1/2個

作り方

 ピーマンと人参をみじん切りにする。最近、KISS誌連載の「おいおい ピータン」で「ピーマンのヘタはペットボトルのふたでくり抜く」という技を知って以降、無駄なく食べられるのでそれ用にペットボトルのフタを常備している。
 卵はかき混ぜておく。あまり泡立てないように、白身は切るようにして塊をほぐしておく。

 コンビーフは手でバラしながらフライパンに乗せていく。脂が多いのでいちいちサラダ油は敷かない。ちょっと温めて油が出てきたらみじん切りにしたピーマンと人参を投入する。別にコンビーフと同時でもいいだろたぶん。

 火が通ったらいったんフライパンから取り出しておく。ここで想定しているフライパンは180mmのだ。うちでは小さい方のフライパンと呼ばれている。卵焼きやちょっとしたツマミ作成にはこれを主に使っている。

 一回フライパンを洗って拭くか乾かすかしてから今度はサラダ油(分量外)を入れて温め直し、フライパンを傾けて全体に回ったら余った分をキッチンタオルで拭く。このキッチンタオルは小皿にでも取り置いておく。
 弱火にして卵液を半分流し込む。ここで強火にしたり、卵液を泡立ててしまっていたりすると泡が膨らんできてしまう、まあつぶしたらいいけど見た目がよくない。

 弱火のまま焼いていると表面だけ固まってない状態になるのでそこに先に炒めたものをおいていく。置いたら橋からひっくり返して巻いていく。フライ返しで持ち上げ、菜箸で押さえていくとうまくいきやすい。
 一回巻いたら端に寄せて残り半分の卵液を加える、巻いた卵焼き持ち上げて下に卵液を流し込んでつなげておかないとうまく丸まらない。先ほどと同様にある程度固まったら巻き取っていく。ふつうの卵焼きより具があるのでちょっと難しい。
 丸め終えたら表と裏にすこし焼き目をつけて完成。端っこは味見すると良い。塩味が足らなかったらウスターソースでどうぞ。

視聴環境を整えた話(GWの暮らし)

出し切るだけ出し切ったってとき、動けねえって状態になるのは覚えがある。腰の奥から下半身にくすぐったいような鈍痛が響き、脚と言うよりは腰に力が入らずに動けなくなる。いつものお通じよりも少しゆるめの時に多い。だがまあ毎回しばらく蹲っていればなんとかなってきた。きっと今日もそうだとトイレからお送りしております。


 音楽とは割と折り合い悪く生きてきた。


 小学5年生で音楽教師に「音楽に金出して何か習ったりしてねえよ!」と言い放って教室を飛び出して以来、何だか申し訳なさを感じているし、中学2年生で当時のバンド文化に興味を持った際、「お前のようにダサい奴は音楽をやるものではない」と言われて以来、はやりの音楽に近い人間に憎しみすら抱いて生きている。(カラオケは好き)

 STAYHOME週間を利用して、山積みになっていた本と雑誌を片づけ、夫婦のくつろぎスペースを確保した。電子書籍用に購入していたFire7を設置してスピーカーを導入、ちょっとしたほんとにちょっとしたなんちゃってホームシアターを開設した。

 しかもそこでつべやSpotifyを検索してはLo-fi hiphopやVaporwaveを流している。

 ちょっと気恥ずかしい。

 いやそこまで音楽というものを忌避して生きてきたわけでなく、たとえば昨年は

 ということをやっている。ちなみにこれはあのころの記憶を持っている人間だと感情がバグってめちゃ気持ちよくなれる。

 しかしこれもあのころのオタクの「流行」に乗っかっていたことの証左であって、それが世間に認められているかどうかを「嫌悪する、しない」の軸にしていたに過ぎないことを実感するしかない。

 昨年は自転車に乗り始めて「運動」というものとも和解できてきたとも思っている。恨みは恨みであるけれどもそれをうまいこと箱に収めて、これから音楽とも和解していけるのか。

 あ、でもダンスはダメ、ちょっとあっちはいろいろあって無理。子供がEダンスアカデミーを好きでよく観てるんだけど、その隣でギリッギリのところで理性を効かせている。ちょっとまだ距離を取らせて欲しい。

鼻が出てきた。

近況の話をしよう。
 みんなの鼻が出てきた。弊社では1人1枚布マスクを配布しているので建前上全員にマスクは行き渡っており、業務中はマスクをしていることになっている。その皆がつけているはずのマスクからひょっこりと鼻がこんにちわしはじめた。厳しい冬を超え草花が芽吹きはじめました。春の到来です。

 実際には春の到来を通り越してファッキンホット(クソ暑い)
 すでに今年熱中症ぽいのになりかけた。ヘルメットには緩衝材に発泡スチロールが入ってるヤツなので熱がこもって仕方ない。
 なんだかんだと出来るだけ外出を控えてる生活なのがかなり効いてて例年より環境変化に弱くなってる。いま、在宅勤務の人は規制が明けた後気をつけた方がいい。特に直射日光、気付かないウチにダメ入ってる気がする。

そんなこんなで田舎は警戒が緩んできてる。
現場からは以上です。

何者かという問いは呪いである。

 「何物にもなれなかった」という言葉についてずっと考えている。



 あの時期の一連のエントリ群に反論を試みたいということではないし、元の記事についてももうあいまいな記憶しか残っていないので何か物申そうとしてでない、ただずっと自分の心に引っかかっているので自分の考えたことを残しておく。

 「おお、あの〇〇さん」と言われてちやほやされてみてえな。という気持ちはあるんだけど、なくても割とやっていけてるじゃん俺。としている。
 そうしていられるのは、社内では一応ネームドキャラみたいな扱いになっているのでそれもあるのかもしれない。別にえらいからじゃなくて本業の組織のどこにも当てはまらないからなんだけど。
 だから、「それで、何者かにはなれましたか? 何者になろうかとしたんですか?」なんて尋ねられても「俺は俺よ」とうそぶいて残ったビールを飲み干すことができる。次はハイボールをジョッキで。

 しかしまあ大概な「呪いの言葉」だよなあ。こんなん言われたら絶対自分が間違ってるような気がしてしまうから、背伸びして周りをキョロキョロ見回すにきまってる。つま先立ちになった軸足は容易に刈れる。 
 軸足を刈られた心はバランスを崩して何かにつかまろうとするからその鼻先に突きつけたらなんでも掴んでくれるという寸法だ。たとえそれが藁でも。これに近い「呪いの言葉」は他にもある。「ほかの会社では通用しないぞ」とか「まだ〇〇で消耗してるの?」とかな。後者は集団免疫を獲得しつつあるけど。
 こういう言葉にやられて、何かで失敗したときに、「取り返そう」とするのが一番まずいのは経験的に知っている。スタンドプレーで見返してやる! なんて最悪のパターンだ。何とかして自分が思う「スタンドプレー」がこなせても、周囲から見たら単なる独りよがりにしか見えなくて結局評価にも繋がらないヤツだ。正直な話、これで周囲に面倒をかけたことが何度もある。

 個人的には、バランスを欠いた状態からのリカバリには「基本に戻る」ことにしている。料理なら皿洗い、仕事なら基本の業務。リーフファイトなら前衛での受け回しだ。

 話がズレた。 

 「何者か」のありように夢を見過ぎじゃないか、とも思う。第一人者! 人気者! みたいな。多分ここで騙されている。

 はてなブックマークはインターネットでご近所さんを広げてくれたと感じている。ろくに言葉を交わしたことはないけれど、それでも見知ったidとアイコンがいる。おっ、このアイコン前にもみたな、おっ、このidいつもおなじこと言ってんな、おっ、このid毎回気に食わねえな。
 いちいちお付き合いをするわけではないけれど、道で会釈するよりはもうちょっと相手を知ってる間柄で、何を考えてるのかをちょっと知っている。たぶん同じように自分のことをあいついつも噛みついてんな、的に浅く淡く認識してくれてる人がいるんだろうなと信じていられる。
 いつものあいつ、みたいな「何者か」でいいんじゃないかと。そして「いつものあいつら」を見物しにいくのもまたいいんじゃないかと考えている。

 まあ何者かになるのに手っ取り早いのは「インターネットの妖怪」になる事ではある。あーだこーだみんなが言ってるなかで「いつも同じふるまい」をやる。
 そんなわけで妖怪としての振る舞いに精を出したいと思います。 

 せるふまとめはわるいぶんめい! はかいする!

日々の不安

 あいつの名前をエントリのタイトルに入れるとPVがガッポガッポらしいがやめておく。なんかはてな民に呪われそうだし。

 迷信はまやかしだがそのまやかしを信じる人は現実だ。恐らく個々人ではそのまやかしに対して平静を保つことができるだろうが、迷信に囚われたひとがいることを想定せずに生きていくことはできない。そんなことを朝から妻と話していた。
 目に見えない脅威への不安は心身に強い負荷をもたらすし、その負荷を感じることで不安は容易に増大する。不安の中で行き過ぎた発言をしてしまう人ってのも多いだろう。
 気にくわない相手の失言だからって嬉々として責め立てるのはしばらくよしておこう。そう思う吉宗であった。

 吉宗は茶碗蒸しがうまい。

 一旦会社についてしまえばあっけらかんとしたもので、誰か欠けたメンバーがいるわけでなく弁当も来るしトラックも来るし日常は対して変わらない。あまりに変わらなくて残念にも思う。

 もともと何もない時でも不安にさいなまれ続けてきている。一時期は仕事上の諸々でいろんなバランスを崩し、休職から退職に追い込まれたこともある。ので漠然とした不安に対策がないわけではない。

 皿を洗うのだ。

 ただしこれは個人的な対処法であるので別にアドバイスとかそういうものではない。単なる個人の体験談ですので効能を保証するものではありません。ノコギリヤシのCMみたいだな。ノコギリヤシ関係のCMは大好きだ。とにかく「スッキリする」だけを連呼するヒューマンたち、提示されるイメージ映像は水の流れがよく、ジャーっと出てピッと止まる。とにかく効能だけは口にしてはいけないが暗喩に暗喩を重ねて言わんかなとするところをあぶり出していくあの手法には感動する。

 話が逸れた。
 なんせこのGWというもの、子供たちが一日中いて牛乳を一日中飲み続けるので洗い物には事欠かない。日に三度のおさんどんもあるので洗い物に次ぐ洗い物だった。しかしながら食器洗いというもの、ただ手を動かしていればいいというものではない、洗い残しはないか、洗い方が弱くて油汚れが残っていないか、すすいだ皿を立てる場所はあるか、水切りができるように茶碗は斜めに立てかける、細かく判断することが多いのでまあこの間は不安が忍び込む隙間もない。終わった時には食器ラックに山盛りになっているので達成感もある。

 他にも作業はいくらでもある。ビールの缶を洗って逆さにして乾かして潰して回収に出す準備、ちょっと目を離すと積みあがっていく空の牛乳パックを洗って開いて乾かしてまとめて回収に出す準備だ。改めてカウントしてみたら週に10本どころじゃなかった、15本は軽く買っている。農林水産省はそろそろ我が家になにかくれてもいいのではないだろうか。

 また1パック牛乳が空になった。牛乳の在庫が切れるんじゃないかと不安で不安で仕方ない。

子供が飲んだり飲まなかったりするかぼちゃスープ

 習慣化は難しい。

 いま冷蔵庫に野菜スムージーのパックがある。すまない、また野菜の話だ。
 これで2パックめだ。1パック目の人生は悲惨なものだった。

 朝、時々コンビニに寄ってから会社にいくことがあるのだが、その際にカップのスムージーを化って飲んでいたのが何となく調子がいいような気がしたのでこれをひとつ人生に取り入れてみようとした。ちなみに野菜スムージーのパックは結構高い、牛乳のおよそ倍。

 そのお高いスムージーを2日めにして朝から飲み忘れる。次の日も忘れる。大体会社に到着する手前のコンビニの前で思い出して後悔するのだ。だってそれまで飲んでたのローソンのdayoneってやつだったから。

 三日目に思い出して飲んでそこから4日忘れてさすがに悪くなりそうだったのでその日の夜に飲み干した。
 こういう習慣化とほんとに相性が悪い。「メモしておけば忘れないよ」ってそれをメモすることを忘れるんですが。ライフハックってほんとにみんな出来てる? 

子供が飲んだり飲まなかったりするかぼちゃスープ

材料

かぼちゃ1/8個
牛乳 それなり
コンソメ ひと欠片。

作り方

かぼちゃを、薄切りにする。たぶん5㎜厚くらいが限界だと思う。うちにはちょっとごつめの包丁があるのでかぼちゃくらいは叩き切れるけれど、スーパーには焼き肉用で薄切りしてあるのが売っているからそれでもいい。


ぼくの台所のヤバいやつ

分厚い

かぼちゃの皮をむく。ピーラーでガリガリ

 でこぼこした飾りのない皿を用意する。重ならないように皿にのせ、蛇口から水を出して片手を濡らしかぼちゃの上にたらたら垂らす。そのあとにラップをかけ、密閉する。密です。

 電子レンジにかける。オートで良し、たいてい1分くらいかければたぶんよし。具体的にはかぼちゃの黄色い部分を柔らかくするのが目当て。

 今気づいたんだけど、皮を剥く必要ないんじゃね? 柔らかくなったとこで皮を取り外せばいいよね! ハイこの記事、上のほうだいぶいらなくなりました。

 温めて柔らかくしたかぼちゃを鍋に入れる。ミルクパンっていうの? ウチではΦ150mmで深さが100mmくらいの鍋があってそれで作ってる。木べらでガシガシ押しつぶして塊をなくしていく。今だ! クラスターをつぶせ! ここでつぶしておかないとこの後牛乳入れた後ではつぶしにくくなるので念入りに。ビニール袋に入れてつぶせばいい? めんどくせえしこれまだ熱いんだよ! 裏ごし? すり鉢? 洗い物が増えるでしょうが!

 よく練ったら牛乳を入れて木べらで混ぜ合わせていく。大体かぼちゃの4倍くらいの牛乳を入れて、四角いコンソメを入れて火にかけ、コンソメを溶かしていく。なんでか知らないけどコンソメを入れるとめちゃくちゃ甘くなる。理由は知らない! 

 一回沸騰したら完成。映えのために刻んだパセリの葉(分量外)を散らしてもいい。これは器に盛ってから真ん中にパラリだ。人差し指と親指の先でつまめる量な! ただウチではやらない。緑色のものは口にしない、それが長男のジャスティス。

こいつを最初に出したときは美味しい美味しいって飲んだのに、最近は出しても飲んだり飲まなかったりでパパはもうよくわからん。とりあえず生きてるから良しとすることにしている。

職場はこんな感じ。

職場では2枚のマスクをローテーションしている。1枚は妻が作ってくれたHKマスク。香港の医療関係者が考案したとかしないとかいうやつだ。クロッチの部分を鼻に当てて女性用下着を被るやつではない。ここは増田ではないからな。
 もう一枚は社長の奥さんが縫ってくれたものだ。アットホームな職場です。ちなみにこの社長夫人めちゃくちゃ酒が強く、いつぞやの忘年会では中堅社員を並べて向き合い、めいめいのコップに焼酎を注ぎ続けながら誰よりも早いペースで手酌していた。つよい、だれもかてない。

 事務所の隣の島が営業の島なのだが、このご時勢なので全員外出を禁じられており完全に油を売っている。めちゃめちゃやりづらくて困る、ブクマがちっともはかどらない。

 その彼らが資格取得の話を朝からしていた。この会社の営業職には奇妙な風習があり、業界のとある資格を取得しているとちょっとだけ威張れるのである。「今度こそ取得しようと思って」「この本暗記したらいけますかね」残念だが無理だ。今年の資格試験は延期になったままで開催されるともされないとも発表がない。そりゃそうだ、講習会も試験会場も密だ密。おそらく今年の開催はないと思われる。

今んとここちらではまだそう差し迫った危機感まではない感じで生きてます。どちらかというと備える為の社会の変貌に戸惑ってる。朝からの通勤ラッシュは少しだけ緩和されてる気がするけど相変わらず普通に買い物客はいる。仕事に関しては未だに止まらずに済んでる。

刀ミュ配信観て大満足だったのでいつか行きたいと思います。アレは絶対楽しいだろ……
あるじって呼ばれてキャー! って叫びたい。