自分の困りごとへの感度を上げることとそれを終始記録しておくことが必要である。改まって何か言いたいというわけではなく、どうも自分はまあまあ頑丈な方に生まれついており、なおかつサイズもデカいのでたいていの不便や困り事を力づくとかちょっとした我慢で何とかやり過ごすことが出来ていて、それを「不都合がない」として生きてきたようである。背伸びすれば届くし、濡れてもほっとけば乾くし、板張りで足が冷たくても我慢すればいいし。
以前にもこのブログで書いた気もするが、加齢による精神や身体の弱体化により、容易にダメージを受けるようになった。その結果ダメージがセンサーとして機能し始めているように感じている。以前の自分ならほっとけば自然回復する微ダメだからと放置していた分だ。だが今は違う! (キュッ)日に焼ければじんわりしんどいし、運転中に目に入る眩しさで何となく目がつらくなるし。人生のもろもろがつらい!
この辛いのを一個一個拾っていって、やせ我慢をやめないといつまでたってもおじさんたちの人生は幸せにならない。やったからといって幸せになれる保証もないけれど
また配偶者や周囲の人間から指摘を受けていたのは空腹になると露骨に不機嫌になることもまたそれだ。顕著なのが他人の咀嚼の音が耳について気になってしょうがないときは完全に自分が疲れているサインであるのでそう言う日はあらかじめ休むようにしている。いまではそのことを自分で受け入れているが受け入れられるようになるまでは何度も何度も配偶者と喧嘩を繰り返した。その結果である。
自分の不機嫌はなんらかの不調・不具合のサインである。一回休んで自分の身の回りを点検する価値はある。
これは自分の例であるが、顔の横、鬢の部分を整えると頬に頻発した吹き出物がなくなった。ヘルメットの顎紐と鬢の毛が頬にこすれ合うことで肌荒れを起こしていたらしい。出張時に体を洗う用のタオル(ポリかなにかで出来たオッサンの身体を削れるザリザリのやつ)をホテルに持ち込むようにしてからケツに出来る吹き出物が減った。ハンドクリームを持ち歩いて手を洗ったら塗り込むようにしたらあかぎれが減った。ほとんどスキンケアの話になってきたな。
小さな不満を認識して問題点を見つけて解決することで思ったより生活は改善する。ここで話題にするべきなのはその改善に至る前に、センシングの技術が必要であるということである。おじさんはそれを頑丈であるが故にそれをおろそかにしがちであるので、自分の不調や不満に耳を傾けて、ご機嫌に世の中を渡って行けばいいのではないかと思った次第である。何日かに分けて自分で考えていたことを綴ってきたのでとりとめのないものになったが、言いたいことはいったように思う。これにてごめん。