てのひらを、かえして

知的怠惰の集積地よりお送りする、手斧と料理のふんわりブログ。

日記250507

連休明け早々に残業をしてしまって縁起が悪い。日報も今抱えている業務の整理とかそういうの関係なく目の前の業務をこなすだけだった。連休明けの日は仕事初めとしてゆるやかに業務を行い、日常業務の平穏を祈る日にすべきである。

前日深夜録画のアニメか配信のアニメもしくは特撮を観ながら晩飯を囲むことにしている。令和の家族団らんとはこういうものか。「パパ、この黒いおじさんたち何なの? 知ってるの?」はっはっは。言われてみれば黒くてドムに乗ってて三人一列で襲ってくること以外、俺はあいつらのことなーんにも知らない。そういやマ・クベキシリアさまにあの壷を手渡ししたのかしら。

残業だったので総菜買って、水煮野菜と買い置きの冷凍キノコを鍋に入れて出汁と味噌、せめてもの自炊といえる献立だ。キノコは安売りになったのを買って可食部を刻んで袋に入れて冷凍しておけばすぐ味噌汁につかえてよい。鍋一杯つくったので明日の分もある。

ゴールデンウィーク近況

繁忙期を終えて連休に突入し、連休があけたので書き始められる。連休と言うのは家でおさんどんをしている人間にとって別に休みではない。ちょっと朝寝坊できてちょっと昼寝が出来るくらいである。行楽となれば運転手はつとめないとならないし、なかなか楽ではない。特に今回は自分の休みだけ長くて子供たちや配偶者は稼働日であるなんてことになっている日は朝ふつうに起きなければならない。なぜこの飛び石連休の間に遠足を設定した! 遠足が弁当の日なら予備日も弁当になるんだ! 五時おきで手羽中を揚げたり卵焼きをこしらえたりしておりました。

とはいえちょいちょいお昼寝(夕方まで寝てる)できるのはとても身体が休まったように思う。おなかをこわしてうんうんうなっている日もあったけど。

以下近況

味噌汁に薄揚げを入れるとなぜか子供たちが飲み干すようになった。野菜たっぷり汁が何故か消えていた。このまま味噌汁でも野菜を取得してほしい。

下の子の作文につきあったが、話をしながら場面や要素について箇条書きにして、つながる話を出していったら最後は自分で結構な内容の作文を書けていた。
アウトライナーの応用である。
【例】
遠足
 ・○○公園
  ・ゾウの滑り台があった

 ・おべんとう
  ・○○の場所で食べた。△△が見えた

 ・おやつ
  ・たりなかった。すくない。
 ・あそび

実際に自分が日記を書いているときのやり方をそのままやらせてみた。書こう書こうとしてうんうん唸っているときよりも、これは書きやすくなる。頭にあることをとりあえず出したら頭のスペースが空いて次に書くことが浮かび出てくるらしい。

ひょんなことから家族がもらった鉢植えの花が置き去りにされて萎びつつあったのが忍びなくて、引き取って世話をしている。水をやったら元気を取り戻したので一安心と思っていたら速攻でまたしおれたので日々水やりと観察が必要である。とりあえずトイレの窓際で彩り担当をお願いした。花はとっくに終わったのに今度は細いままひょろひょろと伸び出して鉢からはみ出つつあり、これはもっと陽当たりのいいところに移すべきかと思案している。

日記250405〜06

土曜に14時まで休日出勤したらもうほぼ1日使いつぶしてるだろ。監督する立場でのお仕事だったため、何時に終わろうと文句は言えない。昼までで終わればいつものそば屋で天ざるそば食べて周回遅れながらも好調な週末のすべりだしをキメることができたのに。仕方がないので会社近くの豚骨ラーメンにする事にしました。工場の弁当を普段食ってるのでこういうことでもないとこの店には来ないからね。

日曜はちょっと遅めに起きて、赤十字からそろそろおまえの血をよこせという知らせが来ており、なおかつバスが近所にで店をひらくとのことだったので急遽予約した。そこから起きてご飯作って食べさせて、コーヒーを入れて飲もう、飲もうと思ったまま実行に移さずに洗面台や脱衣所など水回りの掃除をこなしたが、出発まで微妙に時間があいてしまった。最初に思いついたときにコーヒーメーカーをセットしておけばこのタイミングで飲めたというのに。

日曜夕方がシングレWITCHWATCHちょっと空いて大河ドラマ、そのままBS時代劇が「あきない世傳 金と銀2」になってもう日曜夕方ずっとテレビに張り付いてないといけなくなってしまった。大河で瀬川花魁が退場して同じ役者が主演してくるのはだいぶレアな状況だ。1期めはずっと我慢のターンで、ここから快進撃が始まるのでいっそここから観てもいいと思う。

そうこうしていると「負けヒロインが多すぎる!」の2期制作が決まったという報が入った。めでたい。豊橋市内のデカい掲示の期間が本来この年度末までだったはずが、延長して2026年ごろまでそのままになるというニュースはあったのでおそらく……という感じではあった。
4巻〜6巻までやってくれるか。7巻は単独2時間映画でどうか。

2期、おめでとうございます。

日記250402

毎日少しでも記録として日記を付けていこうと思っては毎度三日坊主するのだけれど自分でもおもしろくないただの日記の日はタイトルを日付だけにしようかしら。

朝からイヤホンをつけ忘れたし、さらに遅刻しそうになってだいぶあわてた。渋滞はひどかったが元々家を出た時間遅かった。7時には靴を履いておきたい。

ぜんぜん関係ないけどここんとこ考えてたことのなのでここにメモ。GTDとかバレットジャーナルで頭の中から気になることを追い出して頭をすっきりさせるという仕事術の潮流がずっとあるが、むしろ頭の中にきちんと納めて、記憶力や思考の切り替え力を高める方向の解決策ではダメなのか? メモで記録ーーバックアップを取るのはいいとしてもだ。

急に食べたくなったのでカレーにした。この時期は作りすぎても翌日子供たちが昼ご飯に食べてくれるので助かる。仕込んでおいた塩豚があるのをあとから思い出して目を背ける。き、今日やります。あとこないだ調子に乗って買ったキノコもばらして冷凍しておきますのでちょっとまって。

牛乳パックファーストで片づけるキッチンシンク作戦は今のところ破綻せずにきれいな状態を保っている。よし次は畳んだ服をしまうオペレーションだ。

4月2日であるので子供たちもNintendo Switch2 ダイレクトを観るために協力的である。課題や風呂があっという間に進む。試聴する上の子が「ここは事前情報通りか……」と妙に冷静なしゃべり方で解説してくれておもしろかった。そういや今まで知らなかったんだけど64って今までのSwitchで遊べるんだ。オウガバトル64が遊べるのではないかと期待している。Switch2のスペックであればPS5ででてるバーチャロンの全部入りの奴もってこれたりしない? だめかな。チャット廻りの機能には感動した。任天堂はもうそういう時代だと理解した上で、子供にボイチャ環境を与えるなら「ウチで面倒見まっせ!」というやり方をしてきた。個人的にはあのチャットで喋った言葉を即字幕にしてくれる機能に感動した。

その絶望感、単に疲れからくる認知能力の低下ですね、寝ろ。

耳栓がまたどこかいった。繁忙期になるといつもこれだ。忙しくなるとなりふりかまわず働くうえに、拠点や関係先をあちこち移動することになるため、だいたいどこかで落として紛失する。工場内の作業が主になるためなんとか耳を保護しておきたくて耳栓をつけている。紛失前提なので毎回百円均一のシリコン製で両の耳栓がつながっているものを購入している。メリットは片耳だけ紛失することがない点で、デメリットはいったん紛失すると両耳がふさげなくなることだ。

AppleWatchは律儀に毎回、大きな音に接しすぎていると教えてくれる。製作者からは親切なのだろうが、大きな音のでる作業環境で日がな一日過ごす人間はこの製品の対象顧客ではありません。といわれているような気がしているのは僻み根性だろうか。だいたいAppleWatchは食器を手洗いしているときも無神経に「いまあなたは手をとてもよく洗いました、すばらしいですよ」というメッセージを送ってくる奴だ。水仕事をするような人間はAppleWatchを使うに値しないとでも言うのかね。君のその防水は何のためかね。ええいおとなしく皿と一緒に洗われておれ!

昨日、過去記事に言及するために読み返していたのだが、正月には自分の服を整理するためにいろいろやったのにもうあふれ出していて、現状の荒れ果てかたに笑ってしまう。定期的に読み返して過去の自分にお叱りを受けよう。寝室に作業着を片づけるのはどだい無理な話なのだろうか。脱衣所と物干場が隣接しているのはいいが取り込んで畳むのをリビングで行うので何となくリビングに滞留するから寝室に片づけようと確か3ヶ月前の俺は決意したのではなかったか。一連の流れの中で、どうしてもリビングで短絡が発生している。まあそれもこれも朝が忙しすぎるのが悪くて子供たちはなかなか起きないしやることは多いしそもそも職場まで離れているので通勤に時間がかかるのが悪いし、じゃあそんな職場になぜ勤めているのかとどんどんさかのぼっていくとそもそも生まれるべきではなかったみたいな全部ダメみたいな思考になっていくのでダメです。何もかんもダメみたいな思考に陥るのは疲労かなんかで自分の認知能力が下がって味噌もクソも同じに見えているからであって、さっさと寝るべき。よく休んだら両手を前で組んで「よかった」探しに出かけるべきとポリアンナも言ってた。そういやYoutubeで「ロミオと青い空」見れるってよ。

おわらぬ牛乳パックとのたたかい。

夜の晩飯のことであるが、前日に揚げておいた手羽元がまだごっそり残っていたはずで、それに汁物と副菜をいくつか足せば晩ご飯になるな、という算段で帰ってきたらおやつ代わりに平らげられており(一部は配偶者が昼飯にしたとのこと)シンクに放り込まれた油切りバットと堆く積まれた骨を前にして崩れ落ちそうになった。仕方ないので急な弁当に備え、冷凍してある手羽中を主菜として供する事で事なきを得た。ちなみに想定していた副菜はコチの切り身の煮つけと春キャベツ豚肉春雨のインターネット炒めです。

↓インターネット炒め

本当によく食う。そういえばそろそろ弁当箱も新調せねばなるまい。もうランチジャー買った方がいいかな。

とはいえ、シンクに食器を返しておいてくれるだけでも結構な進歩で、しつけが身につきつつあるのを感じる。食べたあとは自分が食べたものの食器くらい片づけなさい。できたら食前食後に食卓を布巾で拭くまではやってほしい。

シンクに食器を返すためにはシンクが片づいている状況が必要なのだ。ここしばらく繁忙期なのもあってシンクが荒れており、数日分まとめて負債を返すような片づけかたをしていてよくないと感じたので改善を試みた。幣キッチンは本来そう狭くはないのだが食洗機がいかんせん幅をとっており、その分スペースが心許ない。また、ここしばらくの荒れっぷりを観察した結果、牛乳パックの処理がボトルネックであることを発見したのでこれを改善している。以前の記事(牛乳パックはイワシの仲間なので手開きでよい。 - てのひらを、かえして)にも書いたが億劫なのでついつい週末にまとめてしまう牛乳パック開き。となるとパック干場(6本分)が滞留してしまい、シンクに未乾燥のパックが置き去りにされる。この牛乳パックによってシンクのスペースが浸食され、食器洗いに支障を来す、と、こういうわけだ。

干場に置かれた牛乳パックはたいていの場合既に乾燥しているのでそこで開いてしまえば、そのあとの滞留を防ぐことが出来るのだ。今のところこの数日はこの手で環境の汚染を防いでいる。ポイントとしてはキッチンでの作業の始まりをまず牛乳パック開きにしてしまうことだ。手が濡れたらだめだ、せっかく乾燥した牛乳パックを濡れた手で開く奴はいない。だから最初にやる。

オチがうまいこと決まらなかったので先日の経過観察の件を報告しておく。なんか別件で行ったら治ってるから問題ないそうである。めでたしめでたし。

不機嫌はオジサンの人生のシグナルである。ケアせよ。

自分の困りごとへの感度を上げることとそれを終始記録しておくことが必要である。改まって何か言いたいというわけではなく、どうも自分はまあまあ頑丈な方に生まれついており、なおかつサイズもデカいのでたいていの不便や困り事を力づくとかちょっとした我慢で何とかやり過ごすことが出来ていて、それを「不都合がない」として生きてきたようである。背伸びすれば届くし、濡れてもほっとけば乾くし、板張りで足が冷たくても我慢すればいいし。

以前にもこのブログで書いた気もするが、加齢による精神や身体の弱体化により、容易にダメージを受けるようになった。その結果ダメージがセンサーとして機能し始めているように感じている。以前の自分ならほっとけば自然回復する微ダメだからと放置していた分だ。だが今は違う! (キュッ)日に焼ければじんわりしんどいし、運転中に目に入る眩しさで何となく目がつらくなるし。人生のもろもろがつらい!

この辛いのを一個一個拾っていって、やせ我慢をやめないといつまでたってもおじさんたちの人生は幸せにならない。やったからといって幸せになれる保証もないけれど

また配偶者や周囲の人間から指摘を受けていたのは空腹になると露骨に不機嫌になることもまたそれだ。顕著なのが他人の咀嚼の音が耳について気になってしょうがないときは完全に自分が疲れているサインであるのでそう言う日はあらかじめ休むようにしている。いまではそのことを自分で受け入れているが受け入れられるようになるまでは何度も何度も配偶者と喧嘩を繰り返した。その結果である。

自分の不機嫌はなんらかの不調・不具合のサインである。一回休んで自分の身の回りを点検する価値はある。

これは自分の例であるが、顔の横、鬢の部分を整えると頬に頻発した吹き出物がなくなった。ヘルメットの顎紐と鬢の毛が頬にこすれ合うことで肌荒れを起こしていたらしい。出張時に体を洗う用のタオル(ポリかなにかで出来たオッサンの身体を削れるザリザリのやつ)をホテルに持ち込むようにしてからケツに出来る吹き出物が減った。ハンドクリームを持ち歩いて手を洗ったら塗り込むようにしたらあかぎれが減った。ほとんどスキンケアの話になってきたな。

小さな不満を認識して問題点を見つけて解決することで思ったより生活は改善する。ここで話題にするべきなのはその改善に至る前に、センシングの技術が必要であるということである。おじさんはそれを頑丈であるが故にそれをおろそかにしがちであるので、自分の不調や不満に耳を傾けて、ご機嫌に世の中を渡って行けばいいのではないかと思った次第である。何日かに分けて自分で考えていたことを綴ってきたのでとりとめのないものになったが、言いたいことはいったように思う。これにてごめん。