「短編小説の集い2025」参加要項! - あのにますトライバル
【お名前(HN)】
あんみんななまい
【執筆歴】
高校〜大学あたりで葉鍵の二次創作にいそしんでおりました。
【ひとこと自由欄】
負けインはいいぞ。
【作品名/字数】
元庵診療録〜効きすぎに候〜(3269文字)
【本文】
「御免、先生はご在宅か?」そう言って診療所に若い侍が入ってきたのはその日の夕刻のことであった。
「先生、患者さんだよ」と小者の仁助が呼ぶので向き直ると、長屋の一角を借り受けた診療所の入り口、土間口に若い侍が立っていた。顔を顰め膝の上に手拭いを手で押さえている。おそらくは仕官しているであろうと月代の伸び具合と身なりから医師・元庵は判断した。
「先生は蘭方を修めておいでで、外科も達者であるとお伺いしている。どうか内密にこの傷を診てはもらえまいか」そう言って押さえていた手を放し、巻いていた手拭いをのける。見ればまだ血も止まらぬ金創であった。膝の皿の上に脇差でも突き入れたものらしいが、傷口がいくらか乱れて肉が見えており、それが故に血が止まらず難儀したので、痛む足を引きずって現れたのだ。
となればこれは面倒だな、と元庵は考える。
「お侍さま、内密と申されましてもこの傷では些か御身とその事情についてお伺いせねばなりますまい」
金創、つまり刀傷となれば、必然斬ったものと斬られたものがいることになる。となれば事件として公儀の取調べが無いとは言えず、また傷を負ったものが被害者かというとそうではなく、手傷を負ったが、首尾良く憎き相手を討ち果たしたということだってある。そんな男を傷があるからと治療しておいて、はてどこの誰だかわかりません、では済まない。お白洲に引き摺り出されて、「手前。医師、元庵。刃傷に及んだものと気が付かず、刀疵の治療を行い、またその旨奉行所に申し上げずにおいたのは不届千万、よって手鎖申しつける。ということもなくはない。治療を加えることはやぶさかではないが、せめて後に申し開きができるくらいには聞き出しておかねばならなかった。
「いやこれは某が脇差の手入れの折に手元が狂って」すこしは考えて来たものらしい言い訳を若侍が口にする。
「傷口が違うております。突き入れたのちに右左と捻らねばこうはなりませぬ」
傷口から目を離し、侍の目を見る。まだ若い、出仕を始めて見習いからようやく一人前になったと言うところであろうか。
周囲に人がいないのを確かめ、眼を伏せ気味にして若侍がポツリポツリと身の上を話し出す。
「拙者は苅野藩士で名は桐野 忠篤と申す。先生のお診立てどおり他人に刺されたもの、それも申し開きしにくい相手にござる」
聞くところによると桐野と名乗るその若侍は出納を司る役どころとして藩邸に詰めているのだという。
勤番の年のうちはよかったのだが、殿が国元に帰ると留守居役の何某が幅を利かせ、お役目であるとの名目で他藩の同じ留守居役と宴席三昧の毎日なのだそうな。昼間から酒の匂いをさせながら藩邸に現れ、此度は宴を開くこととなった、ついてはどこどこの店の席をとっておけだの部屋はこれこれの格はないといけないだの土産も持たせねばならないからどこそこの店に走れだのと勝手気儘に振舞っているという。
「しかしだな、各藩の留守居とはそういうお役目だとも聞くし、かといって辞めさせれば御城で
困るのは藩主とも聞きまするが……」
「はい、拙者としてもそうしたお役目であるとは聞き及んでおります。しかしながら、しかしながら恥を忍んで申し上げまする。この傷にてござりまする。」
留守居仲間を藩邸に招いての宴の最中、座興と称して桐野の脚に小刀を突き入れたのだという。留守居役同士の付き合いにあまりにも費えがかかるため、苦言を呈したのがけしからぬというのだ。
「拙者にも落ち度はあるのやもしれぬ! だが座興としてなぶる事はなかろう! 居並ぶあの者たちのニヤケ面がどうにも許せぬ!
傷の痛みに興奮しているのか、若侍が激する。
「お侍さん、声を落としなせえ。長屋の壁は薄うござりまする。となりどころかその向こうにまできこえっちまいますよ」
見かねた小物の仁助が割って入る。
「しかし、拙者は、拙者は」
よほどに悔しい思いをしたのであろう。顔をゆがめて嗚咽をこらえ、土間に一つ二つと黒い跡がつく。
「やっとうのほうも得手ではなかろう、よしんば本懐を遂げてもよくてそなたは切腹、いや斬首となろう」
「かまいませぬ。拙者だけの話ではないのです。先生もお医者であられるのならば病を征すのに強い薬を用いられられることもございましょう。わが藩も同じこと、かの奸物を除くのに必要であれば刃という劇薬を用いるまでです。」
彼を宥めるように言う。
「そうでもない。随分と重いように見える病でも、その源を見抜いてふさわしい薬を用いれば見違えるように軽快することがござる。私の見立てではこの病、膏薬、つまり貼り薬がよく効きましょう」
油紙に薬を塗ったものを貼り付け上からサラシを巻いて端を縛った。
「まずはこれでよし。風呂はしばらく控えて、濡らした布で体を拭って過ごしなさい。放っておいても良さそうだが、二日後に一度見せにきなさい。今夜は熱が出るかも知れぬがそういうものなのでゆっくりと休みなさい」
「仁助、ちと働かねばならぬぞ、これは。」
件の桐野と名乗った若侍の傷を縫い、血止めと膏薬を施して帰したあと、元庵が言う。
「“薬”の話が出た折から、こうなることと腹を括っちゃあおりましたがね、先生。世のため人のためとはいえ思案の方は出来ておられるので?」
「それはまあアテがなくもない」
少し診療所を閉めるには早いのだが、こうなってはもはや医術の出番ではあるまいと、仁助は早々に表に休診の札を出した。
江戸の庶民は雀に例えられるくらいにとかくさえずっているもので、その関心は常に新しいもの珍奇なものに向けられていた。
此度彼らが関心を向けたものはとある藩邸の壁に貼られた紙であった。
そこにはいくばくの文言とふざけた絵が描かれており、騒ぎになって人混みが集まってすぐ藩士達によって剥がされてしまった。それでおさまらないのが、生き馬の目を抜く江戸の街である。めざとい者ははそこに貼られた紙に着目し素早く模写をして持ち帰り、瓦版屋に話を売る者、模写した内容を書き写して売る者、さまざまにいた。
たとえば髪結床で客が床の亭主に話す。
「これはつまり判じ絵になってて要はどこかの藩邸でお殿様が留守の間に好き勝手をやってるお侍がいるって話かい?」話を振られた亭主も応える。
「それだけじゃあねぇや、武艦、あったろ、古いやつだがあれならどこのご家中かぐらいわかるはず」
当初はだんまりを決め込んでいた苅野藩も噂が広まるにつれ、手を拱いているわけにもいかず、留守居役を他の者に変え、公儀大目付に届け出てひとまずの沙汰やみとなった。
「先生の『貼り薬』、仰った通りの効き目でございました。拙者、感服仕りました」
あれからひと月、すっかり脚も癒えた若侍、桐野が菓子を持って訪ねてきた。
「それより桐野様、疑われなさらなかったんで?」
茶を出しながら仁助が問う。
「疑われはしましたが、あの脚でございましたのであの高さに貼るのは無理であろうと早々に疑いは晴れ申した」
「それは良うございました」
桐野の表情から険が取れ、張り詰めたものがなくなったことに元庵も安堵する。
「それで、留守居役を外してもご家中で問題になるような事はなかったのでございますか?」
「あまりに御府内にて噂になったため、各藩の留守居役も鳴りをひそめております。事情が事情というところもあり、新しい留守居役様もお役目に障りは無いようにてございます。一件落着というところなのですがーーーー」
「やはりあの……」
仁助も言葉を濁す。
苅野藩の一件は片付いたのであるが、噂になって盛り上がりを見せた故にそのやり口を真似るものが続出し、諸藩の藩邸ばかりか旗本屋敷や大店でも内部事情を絵解きにして貼り出されるようになったのだ。曰く、この店の店主は女中に手を出しているだの、番頭のなにがしは頭の黒いネズミである、つまり店の品物をちょろまかして横流ししているだのーーーー。
「いくら効くからと言って薬ばかり頼るのも良く無いのですがねぇ」
元庵も流石に頭をかきながらそう言った。
江戸の街はまだしばらく、薬の効き目が続きそう、そう診立てる元庵であった。<完>