てのひらを、かえして

知的怠惰の集積地よりお送りする、手斧と料理のふんわりブログ。

日々の不安

 あいつの名前をエントリのタイトルに入れるとPVがガッポガッポらしいがやめておく。なんかはてな民に呪われそうだし。

 迷信はまやかしだがそのまやかしを信じる人は現実だ。恐らく個々人ではそのまやかしに対して平静を保つことができるだろうが、迷信に囚われたひとがいることを想定せずに生きていくことはできない。そんなことを朝から妻と話していた。
 目に見えない脅威への不安は心身に強い負荷をもたらすし、その負荷を感じることで不安は容易に増大する。不安の中で行き過ぎた発言をしてしまう人ってのも多いだろう。
 気にくわない相手の失言だからって嬉々として責め立てるのはしばらくよしておこう。そう思う吉宗であった。

 吉宗は茶碗蒸しがうまい。

 一旦会社についてしまえばあっけらかんとしたもので、誰か欠けたメンバーがいるわけでなく弁当も来るしトラックも来るし日常は対して変わらない。あまりに変わらなくて残念にも思う。

 もともと何もない時でも不安にさいなまれ続けてきている。一時期は仕事上の諸々でいろんなバランスを崩し、休職から退職に追い込まれたこともある。ので漠然とした不安に対策がないわけではない。

 皿を洗うのだ。

 ただしこれは個人的な対処法であるので別にアドバイスとかそういうものではない。単なる個人の体験談ですので効能を保証するものではありません。ノコギリヤシのCMみたいだな。ノコギリヤシ関係のCMは大好きだ。とにかく「スッキリする」だけを連呼するヒューマンたち、提示されるイメージ映像は水の流れがよく、ジャーっと出てピッと止まる。とにかく効能だけは口にしてはいけないが暗喩に暗喩を重ねて言わんかなとするところをあぶり出していくあの手法には感動する。

 話が逸れた。
 なんせこのGWというもの、子供たちが一日中いて牛乳を一日中飲み続けるので洗い物には事欠かない。日に三度のおさんどんもあるので洗い物に次ぐ洗い物だった。しかしながら食器洗いというもの、ただ手を動かしていればいいというものではない、洗い残しはないか、洗い方が弱くて油汚れが残っていないか、すすいだ皿を立てる場所はあるか、水切りができるように茶碗は斜めに立てかける、細かく判断することが多いのでまあこの間は不安が忍び込む隙間もない。終わった時には食器ラックに山盛りになっているので達成感もある。

 他にも作業はいくらでもある。ビールの缶を洗って逆さにして乾かして潰して回収に出す準備、ちょっと目を離すと積みあがっていく空の牛乳パックを洗って開いて乾かしてまとめて回収に出す準備だ。改めてカウントしてみたら週に10本どころじゃなかった、15本は軽く買っている。農林水産省はそろそろ我が家になにかくれてもいいのではないだろうか。

 また1パック牛乳が空になった。牛乳の在庫が切れるんじゃないかと不安で不安で仕方ない。