てのひらを、かえして

知的怠惰の集積地よりお送りする、手斧と料理のふんわりブログ。

何者かという問いは呪いである。

 「何物にもなれなかった」という言葉についてずっと考えている。



 あの時期の一連のエントリ群に反論を試みたいということではないし、元の記事についてももうあいまいな記憶しか残っていないので何か物申そうとしてでない、ただずっと自分の心に引っかかっているので自分の考えたことを残しておく。

 「おお、あの〇〇さん」と言われてちやほやされてみてえな。という気持ちはあるんだけど、なくても割とやっていけてるじゃん俺。としている。
 そうしていられるのは、社内では一応ネームドキャラみたいな扱いになっているのでそれもあるのかもしれない。別にえらいからじゃなくて本業の組織のどこにも当てはまらないからなんだけど。
 だから、「それで、何者かにはなれましたか? 何者になろうかとしたんですか?」なんて尋ねられても「俺は俺よ」とうそぶいて残ったビールを飲み干すことができる。次はハイボールをジョッキで。

 しかしまあ大概な「呪いの言葉」だよなあ。こんなん言われたら絶対自分が間違ってるような気がしてしまうから、背伸びして周りをキョロキョロ見回すにきまってる。つま先立ちになった軸足は容易に刈れる。 
 軸足を刈られた心はバランスを崩して何かにつかまろうとするからその鼻先に突きつけたらなんでも掴んでくれるという寸法だ。たとえそれが藁でも。これに近い「呪いの言葉」は他にもある。「ほかの会社では通用しないぞ」とか「まだ〇〇で消耗してるの?」とかな。後者は集団免疫を獲得しつつあるけど。
 こういう言葉にやられて、何かで失敗したときに、「取り返そう」とするのが一番まずいのは経験的に知っている。スタンドプレーで見返してやる! なんて最悪のパターンだ。何とかして自分が思う「スタンドプレー」がこなせても、周囲から見たら単なる独りよがりにしか見えなくて結局評価にも繋がらないヤツだ。正直な話、これで周囲に面倒をかけたことが何度もある。

 個人的には、バランスを欠いた状態からのリカバリには「基本に戻る」ことにしている。料理なら皿洗い、仕事なら基本の業務。リーフファイトなら前衛での受け回しだ。

 話がズレた。 

 「何者か」のありように夢を見過ぎじゃないか、とも思う。第一人者! 人気者! みたいな。多分ここで騙されている。

 はてなブックマークはインターネットでご近所さんを広げてくれたと感じている。ろくに言葉を交わしたことはないけれど、それでも見知ったidとアイコンがいる。おっ、このアイコン前にもみたな、おっ、このidいつもおなじこと言ってんな、おっ、このid毎回気に食わねえな。
 いちいちお付き合いをするわけではないけれど、道で会釈するよりはもうちょっと相手を知ってる間柄で、何を考えてるのかをちょっと知っている。たぶん同じように自分のことをあいついつも噛みついてんな、的に浅く淡く認識してくれてる人がいるんだろうなと信じていられる。
 いつものあいつ、みたいな「何者か」でいいんじゃないかと。そして「いつものあいつら」を見物しにいくのもまたいいんじゃないかと考えている。

 まあ何者かになるのに手っ取り早いのは「インターネットの妖怪」になる事ではある。あーだこーだみんなが言ってるなかで「いつも同じふるまい」をやる。
 そんなわけで妖怪としての振る舞いに精を出したいと思います。 

 せるふまとめはわるいぶんめい! はかいする!