てのひらを、かえして

知的怠惰の集積地よりお送りする、手斧と料理のふんわりブログ。

罪悪感を迎え撃て。

みそ汁RTAのはなし。
味噌汁はとくになかなか食べないキノコ類を摂取するのによいと思っている。歯ごたえがほしいのでシメジかエノキをよく使う。子供たちになかなか評判がいいのはナメコだ、子供たちが生まれるまではぜんぜん使わなかったのに今では定番の味噌汁の具となっている。

キノコ以外なら大根を繊維方向に細く切ったのと油揚げのコンボがいい。大根の香りと油の風味はどうしてあんなに噛み合うのか? 下手するとこの味噌汁の隣に大根葉と油揚げの醤油炒めが並んでいたりする。曹植もびっくり。今はあまり見かけないミズイモの茎の味噌汁もうまい、祖母が時々作ってくれていた。ワカメは生を使うのがいいがスーパーで売ってるのちょっと多過ぎだ。ワカメが余って仕方ないから酢味噌も一緒に準備してお酒を飲まねばならない。

まとめで言われてた味噌汁RTAじゃなくて、俺たちがやっているのは晩飯RTAだということは言っておかねばなるまい。

その中では味噌汁は融通が利く工程をしていて、出汁入れる具材切って鍋に入れたらあとはことこと煮てりゃいい。味噌を溶くのは椀に分ける直前でいいので晩飯工程のクリティカルパスにはなり得ず、いくら味噌汁を作るタイムを縮めても意味がない。コンロに余裕があるなら放置して他のチャートに取り掛かって肉野菜炒め作成を短縮した方がナンボかタイムが縮む、帰宅から食事までの時間を短くすることがその日の残りの時間に直結する。

カット野菜や水煮の野菜、冷凍野菜も適宜使用する。業務スーパーのポテトにはいつも助けられている。ほうれん草もありがたい。チンして絞ってめんつゆと砂糖とゴマ散らしたらそれでいいもんね。

気になっているがなかなか難しいのが素揚げして冷凍してあるナスで、うまいこと揚げ浸しにしていきたいのだが温度と味染みのコントロールがうまく行かないので目下研究中だ。

冷凍以外だと、この時期なのでぱっくでそのままの菜の花が売っているのもいい。菜の花なんてもうそのままレンチンめんつゆかつぶしでうまい。
ちょっと前の野菜高騰のにはなぜかやすかった小松菜にずっと頼っていた。モヤシ+小松菜+肉みたいな構成の野菜炒めを連発していた。

昨日はいつも行かないスーパーに寄ったら「にんじんしりしり専用」のニンジンの千切りが袋に入って売ってたので言われるがままににんじんしりしりにして出した。2日は持つと思ったがひとたまりもなかった。こういうのってやっぱり形が悪いとかで丸のまま売れないのを加工して売ってるのだろうか? だとしたら積極的に使っていく。カット野菜を使う罪悪感をSDGsで迎え撃つ所存である。

ところで話をみそ汁に戻すと、昨日はもう三割引のカット野菜を大きめの鍋にぶち込んで二日分まとめて作った。あら熱がとれたらそのまま冷蔵庫に入れて冷やしてある。もうこれでいいんじゃないかな。

出張のまずい蕎麦と小諸七兵衛の順位。

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件の流行病がうんぬんかんぬん

季節柄呼吸器系の感染症が広がっているときくし、実際に先月はインフルAに苦しみもした。
件の感染症の話はなかなか聞かなくなったように思っていたが、個々数日でにわかに2~3ヘクス先での感染例の話が聞こえてきて戦々恐々としている。やはりマスクと手洗いだ。

出張でまずいそばを食った

先日、2泊3日で出張していた折、土地に不案内な我々を心配したのだろうか、外注先の専務からラーメン屋を勧められたのだが、運悪く休みだった。なのでその近くにあった新築のそば屋に入った。威勢のいいお運びの兄ちゃんに厨房はおばちゃんが数名いた。サイドメニューに唐揚げとおにぎり。天ざるがないのが残念だった。
もりそばと誘惑に負けて唐揚げを頼んだ。

うまい。唐揚げが。

まあ唐揚げは肉が多少古くても揚げ置きが長すぎる以外でまずくなる要素はない。
もりそばが来た。浅い器に見た目だけのざるをのっけて麺の水切りが悪く下の方は浸かったままである。まずい。そばもなんだかポソポソしてる割に歯切れが悪いねっちょり感が歯に絡む。
残すのももったいないので完食したがあんな出しかたするならいっそ乾麺ゆでた方がいい。
今思えばあの運びの兄ちゃんにみえた人物がいろいろ指図していたのでなんかうまい感じにおだてられて新規開店しちゃったたぐいの店かしら。
マンガ「そばもん」の序盤の巻にこういう店を再生させる話があるからそれ読んでやり直してほしい。場所も建物も唐揚げも悪くないから。

小諸七兵衛はいいぞ

やり直す気があるなら一回この「小諸七兵衛」を食べてみてもらいたい。はてなブックマーク経由で知った。なんか今リンク先調べようと検索したらめちゃくちゃ売れ線の商品なのな。

今住んでる市内のスーパーでも1店舗しかおいてくれてない。家に1袋常備していて食べたら買いに行く。そば粉100%ではないが食べたときの風味がよく、歯ごたえもある。

そば湯が作れるってのが売りのそば粉100%系の乾麺はまずかなりデカい鍋でゆでないとすぐ麺がくっつきあってゆで具合にむらがでるし、それでもざるにあげたときに麺がくっつきあって団子みたいになって始末に困る。

あとな、そば湯。そりゃいいよそば湯、あるに越したことはないけどさ。飲まなかった分は単にどろどろしたローションでしょ、排水溝に流すのもためらわれるわ。配水管のどこかにくっついて詰まらないか心配になる。

その点七兵衛のヤツはいい。時間通りにゆでたらまず間違いなくうまいしゆでるお湯がちょっと少なくても何とかなるし。その上で味がいい。

ただ、件のスーパーでの棚の位置が最近とみに下降しており、以前は最上段の常連だったのだが心配だ。このまま順位が下がり続けてこのスーパーから卒業なんてことにはならないでくれ。

麺が不規則にでこぼこしているので大根おろしがよく絡む。ちなみにこの大根をおろしているおろし金もはてなブックマーク経由で買った。

鰹節を散らして、蕎麦猪口に2倍濃縮のめんつゆに水代わりに大根おろしを汁ごと入れて、それに付けて食べるのがいい。前の晩呑んだ休日の朝食にぴったりである。

俺は権化ではないのでメモを取る。

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どうにも俺にはタスク管理が必要らしい

だんだん仕事が煮詰まってきて、これほんとにタスク管理なりGTDなりしないと間に合わなくない? ってなってきた。出荷時期までに終わらせておかなければいけないのだが、今は資材機材人材等の理由で処理できない問題がいくつか常に滞留している状況にいる。
だがこれがずっと意識の隅っこにいてワーキングメモリを食われている気がしてならない。もともとそんなにワーキングメモリが多くないたちの人間なのでややこしい思考をしようとすればその端から忘れていく。複雑な思考ができないのは普段のブコメやこのブログを読んでいても察してもらえているものと思う。

まず必要なのは頭の中から書き出して空っぽにしていくことだ。

そもそもノートを取れなかった俺たちへ

むかしはまあまあ賢い方の子供として扱われていたのでたいていのことは記憶できるとノートなんて全く取らない生き物だったのだが、やはりご多分に漏れず二十歳をすぎた頃からただの人以下に成り下がって幾星霜、「これくらいのことは覚えていられる」という自負からはだいたい解放された。自分のことすら信じないという大人の階段を上ったというか老化の坂を下っているのかわからないがそういうことだ。

子供の頃のノート取らなかったエピソードだって、よくよく思い出したらノートを取るのがバチクソ苦手だっただけである。授業はじめあたりは「今日こそちゃんとノートを取るぞ」という意気込みくらいはあるのだが授業序盤の前回の振り返りで退屈し始めて(何だこんなことわかるわ早く本編やれよ)意識はあちらに飛びこちらに飛びして、教科書のほかの項目を読みあさって意識が戻った頃には授業は佳境を迎えており、すでに何回か黒板は消されていてもう何から板書すればいいのかわからない。だいたいこれだ。俺たちゃメモを適切に取れるように生まれてきちゃあいない。

時間で強制的にメモを取る

たとえばメモを取り忘れる件に関しては、これはもう「メモをとらねば」という心の動きに頼ることなく定期的にメモをとるようにしつけていく方がいいのではないかと考えて、実行しつつある。
終業時に今日あったこと、言われたこと、考えたこと、それからやったことを案件ごとに日報として記載している。実際に長期にわたる案件の際に「そろそろこの書類そろそろまとめて提出しなきゃいけないんだけどそもそもこの書類どういう意図で作ってんだっけ」みたいなことが発生していて、「言われたこと、考えたこと」の記録が無く、往生したからだ。

想定だけしていたのが「ポモドーロ・テクニック」は25分の集中時間と5分の休憩時間を繰り返して集中力を高める仕事術だが、この5分に必ずメモを取るようにすれば……みたいな事だが、そもそも本式のポモドーロ・テクニックは詳細に作業の記録をとりながら行うものらしく本末転倒だったことを記しておく。

日記

日頃の生活に関しての記録・日記は昼休みにポメラでとるようにしていてだいたいこの辺からこのブログのネタが出てきているので無駄ではない。そのときの気分とかもやついたこととかを昼休みの時間制限まで一気に書き出す、書き出している内になんか自分の意見みたいなものが出現しはじめる。

手元におくA5の紙

大体これにDoingリストを書き出してから作業に移る。作業手順の指差し確認みたいなもの。もっと小さくても用途は足せるのだが、ちょっとしたおもいつき、急に言われたこと、電話メモをその場で書くためには余白が必要で今はこのサイズにしている。何かの説明のために絵を描いてみせるにもこれくらいないとちょっと書きづらい。

ポケットに入れている手帳。

百均の一番小さい奴。一緒にタッチパネル用のぽわぽわがついてるのを一本付属させている。一番小さかったのがそれだった。メモ帳のカバーに刺せるのでそのまま使っている。用途としては普段のメモには用いず、不意や緊急のメモに用いる。とりあえずこれがあるというお守り。

音声メモ・無線イヤホン

大方の機種が何らかの機能を実現するために物理ボタンを装備しており、これを仮に「ファンクションボタン」と称すると、これの機能でスマホの音声アシスタント機能を呼び出すことができて、そこから口頭でのメモ記載をお願いすることができる。ときたま起動に失敗することがあるのがつらいところだがこれは一時期便利に利用していた。

音声メモ・AppleWatch

イヤホンに比べて圧倒的に便利になった。手帳を取り出すより早く起動できる。あと物持ってても入力できるし手が汚れてても行けるのがいい。

第二の用途として無線イヤホンで電話しながらWatchでそのままをテキスト化がある。
とくに、確認事項を復唱していると見せかけてそのままメモにしている。あまりに丁寧に復唱していたものだから(音声認識がうまくいくようにはっきりと発音していた)上司から「おまえ普段はそんなことしないだろうなにかあったのか」と怪しまれてしまった。しかし、電話が終わったら電話メモができてるのは強い。

残念ながら、業界用語は変換に失敗しやすく、時間を置くとちんぷんかんぷんになるから早めに手動で修正しておく。

最近はもう社内Slackも音声入力している。革手袋外さないで送れるのは強い。写真送って詳細を口頭で追加したら大抵の状況なんとかなる。

おわりに

ここまでメモをとっても漏れはまだまだあって、やることはいくらでも出てくるように感じるのだが、書き出して整理をつけているからこそ、普段は無意識に放逐している「漏れ」や「やること」に気づけているのではないかと仮説を立てている。見つけてしまったものは仕方ない、余計にやった分、結果として人生が少しでも向上していればいいなあ、という希望を持って終わりにする。

昨日はリビングも掃除したし大根とこんにゃくを下ゆでしておでんの元で煮込んで放置しているので今夜の晩飯も楽らくだもんね。

「いつかやる」は結構強敵だ、という話。

自分のやりたいことと向き合うのは実は結構しんどいことだとおもう。自分の中に思ったよりストッパーがあって、本当にやりたいことのはずなのになかなか手がでない。
「まとまった時間があったらやろう」は結局まとまった時間があることなんてないし、そんな時間があっても日々の生活に浸食されてすぐなくなってしまうので予定に入れて細切れでもやろう。そういう話はこないだのエントリでやった。いわゆるGTDで言えば「いつかやる」のリストに放り込んだまま結局手を着けないもろもろのタスク、だ。それに関して自分なりに感じたことを書いていく。

「いつかやる」今これに手を着けること自体が「たのしくない」のが原因ではないかと最近疑っている。
俺の理性は、「これをやりたいやったら楽しくなるぞ」と訴えかけてくるが、俺の本能は「酒の方がいい」「寝た方がいい」「ゲームしよ」とそっちに流れるのだ。いわゆるサボローってヤツか。
だってね、この「いつかやる」ことってさ、もしかしたらやってもやってもできないかもしれない。本当は向いてなくてもしくは能力がなくて、ちっともうまくなれないかもしれない。

こないだも書いたけどこのままやらない方が楽だしちょびっとだけ楽しいままだもん。自分がだめなヤツって思い知らされなくていいし。畢竟何かをやるときにストッパーってこれで「何もできないだめなヤツ」を突きつけられることから逃げてるからだめなんだろうな。

仕事だったら「やらされたことだから」って逃げ道もあるしその逃げ道があるからとりあえずやってみたら以外とこなせる業務だったりしてうまく行くこともなくはない、むしろうまくいくほうが多い。

この「いつかやる」を「やったら楽しい」にどう持って行くかについても本当はGTDの本やタスク管理の本に書いてある。タスクが大きすぎるので、どう進めるかを小さくわけて、やり方がわからない、どこに行ったらいいかわからないなら調べる、必要なものがあるなら買う。そうやって進めていくことができる。
仕事でだってそうやってる。お金がないからやらない。申し分のないいいわけですね。お金がないんなら家族と相談してどう工面するか考えたらいいんだよ。

でもここにものすごい大きなエネルギーが必要なのを感じる。どこがいけないんだろうな。
もともと自分に無精者なところがあるのは認めるし、何なりと言い訳して自分のことに向き合わなかったことも認める。どこかセルフネグレクト的な部分もある。

もしこれを何年も前から自覚してやりたいことを広げていたら、今この向き合いつつある「じぶんのこと」にかんじるこの抵抗感をもっと薄く、もっと行動的に生きてくることができていたのだろうかと悔いを感じつつ終わる。

日記240128 ふせる。

インフルエンザで伏せっていた。

子供経由でやってくる病原体は子供の体内でリフレッシュされているため大人が感染するとひどいことになる、という民間信仰があるが、その通り、上の子からの感染を経て夫婦もろともに高熱でうなされることとなった。持ち込んだ当人は2日もたてばケロっとしていたが、大人は見事に3日間発熱に苦しんだ。

中年ともなると、せきもくしゃみも思いっきりぶっ放すわけには行かない。ぶっ放した衝撃はそのまま砲身に伝わって砲を損耗させる。具体的に言うと腰にくる。高熱でクラクラ、腰痛でヨロヨロ。

マスクも手洗いもおさおさ怠りはなかったはずなのだが、結局市中の感染数が多ければ感染する確率が上がるのか、一昨年のコロナ感染をのぞけば、ここ数年はむしろ風邪への感染すらまれになっていたところだったのでよけいに参った。

5類に分類が変わったからって病気そのものが変わるわけでもないし、付随してインフルもRSも溶連菌もふえてるってんだから冬場はマスクして手洗いうがいを徹底しろってので問題ないのよ。昭和の昔からそういわれてきたじゃないの。

タスク管理失敗の専門家だ、任せてくれ。

理想のタスク管理うんぬんが先日はてブやX(旧Twitter)で流れてきたことをきっかけとして話を始める。任せてくれ、タスク管理の失敗に関しては経験がいっぱいあるんだ。
 
年末年始のはてブには、2023年のまとめや2024年の抱負のエントリがいくつもながれてきていて、それを観ながらやりたいことリストをつらつらと書いた。それについてのエントリも一回書いたが没にした。でもリスト自体はメモにしたので自分のやりたいこと/いつかやるのリストができて、手元にある。やりたいこと100個挙げるなんて無理で、7つくらい。ほかにもやりたいことが見つかったら、おいおい追加していこうと思う。

また、年末年始というものは小人閑居して不善をなすという通り、手持ち無沙汰に任せて生活の見直しなんかを始めるものだ。その流れで、やりたいことリストもタスク管理の中に取り合えずいれてみた。そうするとなんとなく流れでやりたいことを分割して具体的な方法を考え、タスク管理全体が自分のやりたいことを進めるためのものになったところがある。

何を当たり前のことを、と笑われるかもしれないが、まあそれを恐れずに書いていく。車輪は何回発明してもいいもんですからね。

これは決して自分だけが持ってる感覚ではないと思うのだが「タスク管理をして、時間が余るようになったら自分のことをしよう」という考え方をずっとしていて、そのうえで「自分の時間がない」「もっと効率よくできるようになったらやりたいことをやろう」そう考えていた。
そのうち、何をやっていても、自分のやりたいことをできていない、だとか、いつまでたってもやるべきことが終わらないという無力感にとらわれるようになった。そうなって、タスク管理がおろそかになっていく。いつまでも残る同じタスクに飽き飽きしてみてみぬふりをするようになる。


「全部終わらせたら、あまりの時間でやろう」というのは一見するといい考えに見える。謙虚で道徳的で、それでいてすべての用事を終わらせた後は残りの時間を全部自分のものにしてかまわない。なんてすばらしい! いや、そうではない。この考えは自分の用事を疎外していて、その時点で自分の人生以外のことが終わらなくなってしまう。なぜならやらなければならないことは生きている限り毎日追加されるからだ。

いつもの三日坊主タスク管理破綻とどう違うんだ、と言われるとまあ、考え方が違うんですよ! カテジナさん! としか言いようがないが、

やりたいことを実現しようとする自分自身が構えてしまうハードルがあって、「やりたいこと」そのものに「やりたくなさ」があるのだ。我ながら何を言っていやるのかわからないが、これはセルフハンディキャッピング、というものか、「これを実現出来たら良くなってたのしいだろうな」という空想はその空想自体がが楽しくてしかも苦労がないのだ。味は薄いけどずっとしゃぶっていられる飴みたいなところがあるのでそこでずっと停滞してしまう。

この壁というかハードルというかの障害を、何度も失敗しているとはいえ、いつも使っている「タスク管理」という広義のツールの中に入れてしまって、いつもやっているルートに乗せることで乗り越えることができているように思えるのだ。

自分のやりたいことを決めて、それをいつやるか設定すると、なんとなくだが雑用も「やりたいこと」のための自発的な行動のように思えてくるから不思議だ。

過度な謙虚さ、過度な謙遜というのは良くねえな、というところを今年の抱負としていく。

日記240116

ポメラのカレンダー機能にそのまま日記書けるよって情報を得て早速やってみてるがこれはいいな。毎日日付タイトルのファイルに保存していたけどその手間がなくなるのはいい。外部出力もそのまま使えるし。

昨日に比べると体調もよくなり、晴れたので気温も上がっていてよい。今朝は朝からスクワットをした。やはりやると調子がいい。そう、汗ばむくらい運動をするのは本当は気持ちいいのだと自分に言い聞かせている。昨日の夜に思い立って、さぼり気味だったのをやったのがよかったと思う。
ワンセットやればやれるって自信になるし一日サボればそのぶん「今日もやらなくてよくない?」になっていく。気持ちに慣性がある。慣性って怖い。

腰の痛みはストレッチサボりの自業自得なので今夜もやります。

日記なんて書けるほど日々違いがあるのはせいぜい体調と晩飯くらいになってしまうので、必然的にその話題ばかりになってすまない。

「あたらしい家中華」を買ったのでここしばらく持ち歩いて試していて、そのために久しぶりに中華鍋を出してきて使っている。やっぱり中華鍋の方が野菜を炒めたときに火が通ってても歯ごたえがいい。
材料も作り方も手元にないとおぼつかないので本を片手にスーパーをうろうろしている。風味と香り、味付けで野菜を食べさせにくるレシピが多いがこれはなかなか子供には食べづらいようだ。

その中でもトマトと卵の炒め物はなかなか食いつきがよく、再度製作した折りにちょっと塩を多めにしたところ下の子から「これはこないだの塩分控えめな方がおいしかったよ」との評価を賜った。

料理の塩加減にまで意識をまわし、それを言葉に表現できるようになったことは、親としては成長を喜ぶところである。あとはもすこし早く寝て早く起きてくれ、「大奥」はもちろんのこと「バス江」は君たちのいる前で観るわけにはいかんのだ。