てのひらを、かえして

知的怠惰の集積地よりお送りする、手斧と料理のふんわりブログ。

ルーチンワークとしての水筒と切り替えどき

目次

ルーチンとしての水筒ワーク

毎晩毎晩水筒を分解して洗う。本体とカップと注ぎ口、パッキンに分けてそれぞれを洗い、乾いた布巾で水分をふき取って食器乾燥かごに並べる。茶渋がついてきたなと思えば、小さいブラシで隅をこすって落とす。それを二人分はめちゃくちゃめんどい。いやめんどいのは今食洗機が過酷な労働環境に耐えかねて体調不良になり里帰りしているからなのだが。具体的には食洗機の排水まわりでトラブルがあって動かなくなった。食洗機があっても毎日の分解組立が面倒なことには変わりがない。そう、朝起き抜けの組立もしんどさがある。基本寝起きはいい方なので寝ぼけてぼーっとしているということはないが、それでも起き抜けに組立作業はちょっとしんどい。だからイヤだ。

最近の朝ルーチン

だいぶ春めいてきたけれども屋外で日陰だったりするとまだまだ寒いのでホットの麦茶を持たせている。台所にはいってまず電気ポットに水を満たして沸騰させ、その間に麦茶ポットにパックを落としておく。ソーセージと玉子を冷蔵庫からとってフライパンを火にかけ、ソーセージを焼いて、悲鳴を上げはじめたら間に黄身が割り込むように玉子を割り入れる。蓋をして火を消して子供たちが起きてくればだいたいちょうどいい焼き加減だ。そうこうしているあいだにだいたいいい感じに麦茶に色が付くのでやけどしない温度か、さわって確認してそれぞれの水筒に注ぐ。

湯で出すか水で出すか

季節が季節なのでそろそろ水出しに切り替える。前日からポットに水道水と入れて置いておくだけなので朝からのルーチンがほんの少し減って楽になる。以前は前日にお湯で出してあら熱をとって冷蔵庫にインの手順をとっていたのだが、水道水で水出しの方がカルキが残っていて菌の発生が抑えられると聞いてからそうしている。決して手間が減るからではない、武士の情けだ、そういうことにしておいてくれ。

ちなみに鶴瓶のやつ

この切り替えのタイミングが難しく、そんなに暑くもない日に冷蔵庫で冷えた麦茶を持たせると、とたんに飲みが悪くなる。
余った麦茶は何かに再利用するわけにいかないのでそのまま流して捨てるのだがこのSDGsの世の中の流れを感じているともったいないなあの罪悪感がいや増すので気温の読みをはずしたくはない。
週間の気温推移を調べてそろそろかなあと算段しているが、これを書きながら親自身は白湯を飲んでいる。


麦茶のイメージカラー

日記240307 チューリップの唐揚げのこと

目次

通勤路のドライバー達

朝ちょっと出発が遅かったがなんとかなった。
通勤路を走っているドライバーには明らかな差があって、大まかには二種類に分類できる。渋滞の先にいくドライバーとそうでないものだ。渋滞ゾーンがあるのでできるだけ早く行きたくてピリピリしながら運転している。
なんだかのんびりしている車はその道程のどこかで脇にそれていく。

チューリップ唐揚げ

日曜夜は先週に引き続き唐揚げを作った。何かのテレビ番組で手羽元の「チューリップ」を子供たちが知ってしまったからだ。大家族のお父さんが育ち盛りの子供たちに食事を準備するとどれほど大量で時間がかかるかというような趣旨の番組で、このお父さんが巨大なボウルで味付けのもみ込みを行っていた。確か40本。それをみていた子供たちから、食べてみたいとリクエストされていたのだ。土曜日に買い出しに出かけた先(いつも小諸七兵衛を購入しているスーパーだ)で一パック十二本入って税込み三百円だ安い。ありがてえありがてえ。
もしかして足りなかったらイカンなーと鶏胸肉のデカいヤツも一パック、それも三百円くらいだったのでそれも買った。
手羽元十二本を二パックかって計二十四本、これを開いてこそげてにくをひっくりかえして「チューリップ」状態に持って行くのはなかなかに骨が折れた、途中であきらめようかと思ったがあげるときに均一にならないのイヤだなの一念でやりきった。もっとホメてくれ。中年になるとホメがなかなかもらえないものだ。会社でだって仕事でだって、しんどいのをおしてでもやりきってそれがうまくいってもよっぽどのことじゃないとホメには繋がらない。中年だから「それくらい今更ホメるようなことじゃないし」てな感じでホメをもらいそびれる。


揚げカスをとる網が欲しい

去年から揚げ物をかなり積極的に行うようになったのは揚げ物用の鍋があったからだが、揚げ物の頻度が上がるとそれなりに不満がたまってきていて、今は揚げ物の途中に散っている揚げカスを回収する網に取っ手がついたあれがほしい。ウチの唐揚げは衣に片栗粉を使うのだが、これが結構油の中で散って大量のカスがでる。カスを放っておくと油の酸化が早まるので都度回収するといい、というのは知っているがそういう話ではなくて、揚げ終えた頃までこのカスを放置しておくと鍋の底に固着して洗うときになかなかとれなくて難儀しているからだ。

スクワットが習慣になってきた。

今週のお題「習慣にしたいこと・していること」

それは「スクワット」だ。

以前にも書いたが

だいたい80日くらい前の記事で、それ以前からやっているから大まかに100日くらいはやっていることになる。

一昨年の取り組み

アプリで30日スクワットチャレンジというのをやった。
最初の50回からどんどん増えて300回にまでなったのには驚いた。数日おきに休みの日がある。機械が指示してくれるのがいい、自分でやると曖昧な休み方をする。チャレンジを終えても習慣として続けようとした矢先にコロナで休止を余儀なくされてそのまま習慣が潰えた。

去年からの取り組み

そろそろ暑い季節が終わったということでじわじわとはじめた。前年のチャレンジのアプリではなくて日常的に使えるものだ。スマホのセンサーで加速度をとらえて回数をカウントしてくれる。やるときには回数を数えず音楽をかけて音楽に合わせて体を動かしていると考えて自分をだます。俺はスクワットなんてやってない、だからつらくない。不思議と苦痛を感じずに回数を重ねることができている、ような気がする。

ふともも

ふとももを鍛えるのがいいのは自分で効果を感じやすいこともある。二週間くらいの継続で太股にうっすらと筋肉の存在を感じるようになった。風呂に浸かりながらふとももを眺めている。膝の上のとこも少し育ってきた気がする。ちょっと盆栽っぽさがある。贅肉が垂れてた臀部も力を入れると引き締まるようになってきた。うれしい。

サボり

今年に入ってからインフルエンザで一週間ほど中断したがその後も続けられている。また、だいたい週に何回かはサボっている。少しくらいサボるくらいなんだ、ちょっとぐらい中断したってまた始めればいい。サボりを恐れない。
サボることを恐れたら、再開するハードルが上がりそうに思えるのだ。何年も続けたソシャゲでログインボーナスが途切れた途端、そのソシャゲをやめてしまうなんてよくある話だ。

実利

やっている内に体が軽くなる。
ちょっとだけ走り出すのがおっくうでなくなった。仕事上、会社敷地内のあちこちに徒歩で向かわねばならず、時には走る必要もあるのだ。余り詮索するものではない。荷物を持って階段を上るときにも休憩がいらなくなる。一ヶ月と言わず二週間くらいで効果を実感した。

上半身への筋トレの追加と有酸素運動も増やしたい

せっかく習慣化が進んできて身に付き始めたので、次は上半身の筋トレ、それから筋トレ後の有酸素運動を取り入れたい。
しかしながら、負荷を増やしすぎて「もうだめだー俺はダメなヤツだー」ってなって一気に止めてしまいそうで二の足を踏んでいる。

最後に

さいごに、一つ言っておくべきことがある。
恐るべきことに────、全然体重減ってない。

罪悪感を迎え撃て。

みそ汁RTAのはなし。
味噌汁はとくになかなか食べないキノコ類を摂取するのによいと思っている。歯ごたえがほしいのでシメジかエノキをよく使う。子供たちになかなか評判がいいのはナメコだ、子供たちが生まれるまではぜんぜん使わなかったのに今では定番の味噌汁の具となっている。

キノコ以外なら大根を繊維方向に細く切ったのと油揚げのコンボがいい。大根の香りと油の風味はどうしてあんなに噛み合うのか? 下手するとこの味噌汁の隣に大根葉と油揚げの醤油炒めが並んでいたりする。曹植もびっくり。今はあまり見かけないミズイモの茎の味噌汁もうまい、祖母が時々作ってくれていた。ワカメは生を使うのがいいがスーパーで売ってるのちょっと多過ぎだ。ワカメが余って仕方ないから酢味噌も一緒に準備してお酒を飲まねばならない。

まとめで言われてた味噌汁RTAじゃなくて、俺たちがやっているのは晩飯RTAだということは言っておかねばなるまい。

その中では味噌汁は融通が利く工程をしていて、出汁入れる具材切って鍋に入れたらあとはことこと煮てりゃいい。味噌を溶くのは椀に分ける直前でいいので晩飯工程のクリティカルパスにはなり得ず、いくら味噌汁を作るタイムを縮めても意味がない。コンロに余裕があるなら放置して他のチャートに取り掛かって肉野菜炒め作成を短縮した方がナンボかタイムが縮む、帰宅から食事までの時間を短くすることがその日の残りの時間に直結する。

カット野菜や水煮の野菜、冷凍野菜も適宜使用する。業務スーパーのポテトにはいつも助けられている。ほうれん草もありがたい。チンして絞ってめんつゆと砂糖とゴマ散らしたらそれでいいもんね。

気になっているがなかなか難しいのが素揚げして冷凍してあるナスで、うまいこと揚げ浸しにしていきたいのだが温度と味染みのコントロールがうまく行かないので目下研究中だ。

冷凍以外だと、この時期なのでぱっくでそのままの菜の花が売っているのもいい。菜の花なんてもうそのままレンチンめんつゆかつぶしでうまい。
ちょっと前の野菜高騰のにはなぜかやすかった小松菜にずっと頼っていた。モヤシ+小松菜+肉みたいな構成の野菜炒めを連発していた。

昨日はいつも行かないスーパーに寄ったら「にんじんしりしり専用」のニンジンの千切りが袋に入って売ってたので言われるがままににんじんしりしりにして出した。2日は持つと思ったがひとたまりもなかった。こういうのってやっぱり形が悪いとかで丸のまま売れないのを加工して売ってるのだろうか? だとしたら積極的に使っていく。カット野菜を使う罪悪感をSDGsで迎え撃つ所存である。

ところで話をみそ汁に戻すと、昨日はもう三割引のカット野菜を大きめの鍋にぶち込んで二日分まとめて作った。あら熱がとれたらそのまま冷蔵庫に入れて冷やしてある。もうこれでいいんじゃないかな。

出張のまずい蕎麦と小諸七兵衛の順位。

目次

件の流行病がうんぬんかんぬん

季節柄呼吸器系の感染症が広がっているときくし、実際に先月はインフルAに苦しみもした。
件の感染症の話はなかなか聞かなくなったように思っていたが、個々数日でにわかに2~3ヘクス先での感染例の話が聞こえてきて戦々恐々としている。やはりマスクと手洗いだ。

出張でまずいそばを食った

先日、2泊3日で出張していた折、土地に不案内な我々を心配したのだろうか、外注先の専務からラーメン屋を勧められたのだが、運悪く休みだった。なのでその近くにあった新築のそば屋に入った。威勢のいいお運びの兄ちゃんに厨房はおばちゃんが数名いた。サイドメニューに唐揚げとおにぎり。天ざるがないのが残念だった。
もりそばと誘惑に負けて唐揚げを頼んだ。

うまい。唐揚げが。

まあ唐揚げは肉が多少古くても揚げ置きが長すぎる以外でまずくなる要素はない。
もりそばが来た。浅い器に見た目だけのざるをのっけて麺の水切りが悪く下の方は浸かったままである。まずい。そばもなんだかポソポソしてる割に歯切れが悪いねっちょり感が歯に絡む。
残すのももったいないので完食したがあんな出しかたするならいっそ乾麺ゆでた方がいい。
今思えばあの運びの兄ちゃんにみえた人物がいろいろ指図していたのでなんかうまい感じにおだてられて新規開店しちゃったたぐいの店かしら。
マンガ「そばもん」の序盤の巻にこういう店を再生させる話があるからそれ読んでやり直してほしい。場所も建物も唐揚げも悪くないから。

小諸七兵衛はいいぞ

やり直す気があるなら一回この「小諸七兵衛」を食べてみてもらいたい。はてなブックマーク経由で知った。なんか今リンク先調べようと検索したらめちゃくちゃ売れ線の商品なのな。

今住んでる市内のスーパーでも1店舗しかおいてくれてない。家に1袋常備していて食べたら買いに行く。そば粉100%ではないが食べたときの風味がよく、歯ごたえもある。

そば湯が作れるってのが売りのそば粉100%系の乾麺はまずかなりデカい鍋でゆでないとすぐ麺がくっつきあってゆで具合にむらがでるし、それでもざるにあげたときに麺がくっつきあって団子みたいになって始末に困る。

あとな、そば湯。そりゃいいよそば湯、あるに越したことはないけどさ。飲まなかった分は単にどろどろしたローションでしょ、排水溝に流すのもためらわれるわ。配水管のどこかにくっついて詰まらないか心配になる。

その点七兵衛のヤツはいい。時間通りにゆでたらまず間違いなくうまいしゆでるお湯がちょっと少なくても何とかなるし。その上で味がいい。

ただ、件のスーパーでの棚の位置が最近とみに下降しており、以前は最上段の常連だったのだが心配だ。このまま順位が下がり続けてこのスーパーから卒業なんてことにはならないでくれ。

麺が不規則にでこぼこしているので大根おろしがよく絡む。ちなみにこの大根をおろしているおろし金もはてなブックマーク経由で買った。

追記:

追記終わり。


鰹節を散らして、蕎麦猪口に2倍濃縮のめんつゆに水代わりに大根おろしを汁ごと入れて、それに付けて食べるのがいい。前の晩呑んだ休日の朝食にぴったりである。

俺は権化ではないのでメモを取る。

目次

どうにも俺にはタスク管理が必要らしい

だんだん仕事が煮詰まってきて、これほんとにタスク管理なりGTDなりしないと間に合わなくない? ってなってきた。出荷時期までに終わらせておかなければいけないのだが、今は資材機材人材等の理由で処理できない問題がいくつか常に滞留している状況にいる。
だがこれがずっと意識の隅っこにいてワーキングメモリを食われている気がしてならない。もともとそんなにワーキングメモリが多くないたちの人間なのでややこしい思考をしようとすればその端から忘れていく。複雑な思考ができないのは普段のブコメやこのブログを読んでいても察してもらえているものと思う。

まず必要なのは頭の中から書き出して空っぽにしていくことだ。

そもそもノートを取れなかった俺たちへ

むかしはまあまあ賢い方の子供として扱われていたのでたいていのことは記憶できるとノートなんて全く取らない生き物だったのだが、やはりご多分に漏れず二十歳をすぎた頃からただの人以下に成り下がって幾星霜、「これくらいのことは覚えていられる」という自負からはだいたい解放された。自分のことすら信じないという大人の階段を上ったというか老化の坂を下っているのかわからないがそういうことだ。

子供の頃のノート取らなかったエピソードだって、よくよく思い出したらノートを取るのがバチクソ苦手だっただけである。授業はじめあたりは「今日こそちゃんとノートを取るぞ」という意気込みくらいはあるのだが授業序盤の前回の振り返りで退屈し始めて(何だこんなことわかるわ早く本編やれよ)意識はあちらに飛びこちらに飛びして、教科書のほかの項目を読みあさって意識が戻った頃には授業は佳境を迎えており、すでに何回か黒板は消されていてもう何から板書すればいいのかわからない。だいたいこれだ。俺たちゃメモを適切に取れるように生まれてきちゃあいない。

時間で強制的にメモを取る

たとえばメモを取り忘れる件に関しては、これはもう「メモをとらねば」という心の動きに頼ることなく定期的にメモをとるようにしつけていく方がいいのではないかと考えて、実行しつつある。
終業時に今日あったこと、言われたこと、考えたこと、それからやったことを案件ごとに日報として記載している。実際に長期にわたる案件の際に「そろそろこの書類そろそろまとめて提出しなきゃいけないんだけどそもそもこの書類どういう意図で作ってんだっけ」みたいなことが発生していて、「言われたこと、考えたこと」の記録が無く、往生したからだ。

想定だけしていたのが「ポモドーロ・テクニック」は25分の集中時間と5分の休憩時間を繰り返して集中力を高める仕事術だが、この5分に必ずメモを取るようにすれば……みたいな事だが、そもそも本式のポモドーロ・テクニックは詳細に作業の記録をとりながら行うものらしく本末転倒だったことを記しておく。

日記

日頃の生活に関しての記録・日記は昼休みにポメラでとるようにしていてだいたいこの辺からこのブログのネタが出てきているので無駄ではない。そのときの気分とかもやついたこととかを昼休みの時間制限まで一気に書き出す、書き出している内になんか自分の意見みたいなものが出現しはじめる。

手元におくA5の紙

大体これにDoingリストを書き出してから作業に移る。作業手順の指差し確認みたいなもの。もっと小さくても用途は足せるのだが、ちょっとしたおもいつき、急に言われたこと、電話メモをその場で書くためには余白が必要で今はこのサイズにしている。何かの説明のために絵を描いてみせるにもこれくらいないとちょっと書きづらい。

ポケットに入れている手帳。

百均の一番小さい奴。一緒にタッチパネル用のぽわぽわがついてるのを一本付属させている。一番小さかったのがそれだった。メモ帳のカバーに刺せるのでそのまま使っている。用途としては普段のメモには用いず、不意や緊急のメモに用いる。とりあえずこれがあるというお守り。

音声メモ・無線イヤホン

大方の機種が何らかの機能を実現するために物理ボタンを装備しており、これを仮に「ファンクションボタン」と称すると、これの機能でスマホの音声アシスタント機能を呼び出すことができて、そこから口頭でのメモ記載をお願いすることができる。ときたま起動に失敗することがあるのがつらいところだがこれは一時期便利に利用していた。

音声メモ・AppleWatch

イヤホンに比べて圧倒的に便利になった。手帳を取り出すより早く起動できる。あと物持ってても入力できるし手が汚れてても行けるのがいい。

第二の用途として無線イヤホンで電話しながらWatchでそのままをテキスト化がある。
とくに、確認事項を復唱していると見せかけてそのままメモにしている。あまりに丁寧に復唱していたものだから(音声認識がうまくいくようにはっきりと発音していた)上司から「おまえ普段はそんなことしないだろうなにかあったのか」と怪しまれてしまった。しかし、電話が終わったら電話メモができてるのは強い。

残念ながら、業界用語は変換に失敗しやすく、時間を置くとちんぷんかんぷんになるから早めに手動で修正しておく。

最近はもう社内Slackも音声入力している。革手袋外さないで送れるのは強い。写真送って詳細を口頭で追加したら大抵の状況なんとかなる。

おわりに

ここまでメモをとっても漏れはまだまだあって、やることはいくらでも出てくるように感じるのだが、書き出して整理をつけているからこそ、普段は無意識に放逐している「漏れ」や「やること」に気づけているのではないかと仮説を立てている。見つけてしまったものは仕方ない、余計にやった分、結果として人生が少しでも向上していればいいなあ、という希望を持って終わりにする。

昨日はリビングも掃除したし大根とこんにゃくを下ゆでしておでんの元で煮込んで放置しているので今夜の晩飯も楽らくだもんね。

「いつかやる」は結構強敵だ、という話。

自分のやりたいことと向き合うのは実は結構しんどいことだとおもう。自分の中に思ったよりストッパーがあって、本当にやりたいことのはずなのになかなか手がでない。
「まとまった時間があったらやろう」は結局まとまった時間があることなんてないし、そんな時間があっても日々の生活に浸食されてすぐなくなってしまうので予定に入れて細切れでもやろう。そういう話はこないだのエントリでやった。いわゆるGTDで言えば「いつかやる」のリストに放り込んだまま結局手を着けないもろもろのタスク、だ。それに関して自分なりに感じたことを書いていく。

「いつかやる」今これに手を着けること自体が「たのしくない」のが原因ではないかと最近疑っている。
俺の理性は、「これをやりたいやったら楽しくなるぞ」と訴えかけてくるが、俺の本能は「酒の方がいい」「寝た方がいい」「ゲームしよ」とそっちに流れるのだ。いわゆるサボローってヤツか。
だってね、この「いつかやる」ことってさ、もしかしたらやってもやってもできないかもしれない。本当は向いてなくてもしくは能力がなくて、ちっともうまくなれないかもしれない。

こないだも書いたけどこのままやらない方が楽だしちょびっとだけ楽しいままだもん。自分がだめなヤツって思い知らされなくていいし。畢竟何かをやるときにストッパーってこれで「何もできないだめなヤツ」を突きつけられることから逃げてるからだめなんだろうな。

仕事だったら「やらされたことだから」って逃げ道もあるしその逃げ道があるからとりあえずやってみたら以外とこなせる業務だったりしてうまく行くこともなくはない、むしろうまくいくほうが多い。

この「いつかやる」を「やったら楽しい」にどう持って行くかについても本当はGTDの本やタスク管理の本に書いてある。タスクが大きすぎるので、どう進めるかを小さくわけて、やり方がわからない、どこに行ったらいいかわからないなら調べる、必要なものがあるなら買う。そうやって進めていくことができる。
仕事でだってそうやってる。お金がないからやらない。申し分のないいいわけですね。お金がないんなら家族と相談してどう工面するか考えたらいいんだよ。

でもここにものすごい大きなエネルギーが必要なのを感じる。どこがいけないんだろうな。
もともと自分に無精者なところがあるのは認めるし、何なりと言い訳して自分のことに向き合わなかったことも認める。どこかセルフネグレクト的な部分もある。

もしこれを何年も前から自覚してやりたいことを広げていたら、今この向き合いつつある「じぶんのこと」にかんじるこの抵抗感をもっと薄く、もっと行動的に生きてくることができていたのだろうかと悔いを感じつつ終わる。