せっかくシロクマ先生に言及してもらったのでお返事したくpomeraを執ります。失礼なところがあったらごめんなさい。ワインのつまみに齧られるのは怖いです。
先生のエントリのタイトルで、特に「規範」の部分に引っかかっている人がけっこういるように見受けましたが、自分としてはあの部分、先生のご著書「人間はどこまで家畜か」でおっしゃられていたようなことで、「ていねいな暮らしという規範」は「家畜化」に近いところにある、と思われているのではないかな? と読みました。であればこそ先生は
私は……ええと……さらなるていねいな暮らしを希求しています。
とお答えになったのであろうと考えました。先生のご著書での立ち位置もそういうふうであったように思います。
「くらす」というのは博多弁の場合*1を除いて、もともとある程度の「ていねいさ」を含むものです。自分としても確かに希求はしていますが、高みを目指すような希求ではなく一個一個の「くらし」を拾い集めて面積を広げていくような進め方を目指しています。「ていねいな暮らし」というフレーズにはもうイメージがつきすぎて自分の手にはあまります。
「おれたち」の「無頓着さ=男らしさ」と、「規範」が女性ジェンダー側に寄ってきているというあたりについて考えているウチに思いついたのですが、この「男らしさ」というのはもしかして「メシ」「風呂」「寝る」で完結していた専業主婦のいる昭和の家庭が成り立たせていたのではないかということです。
だとすればそれがなくなった令和では女性よりになってくるのも当たり前で、もしかしたらそれ以前ももっとニュートラルなあたりに規範があったのではないでしょうか?
着心地のいい服、一番風呂、一品多いご飯。今から考えればずいぶんとマンモーニだった昭和の男たちの子供として生まれ、その恩恵にあずかっていた「おれたち」が劣等生になるのも仕方ないのかもしれません。そんなの知らない令和の若者たちは時代に適応できるのも頷けます。
自分がこういう「暮らし」に興味を持つのは、せめて自分一人になっても生きていけるようにしよう、という意識がどうしてもおのれの中に危機感としてあるからなのですが、そのおかげで今の自分の家族がまあまあ幸せそうに生きていけているのでそれはうれしく思っています。
言及ありがとうございました。これからも適応していけますように。
*1:暴力。例:「きさんくらすぞ」(あなたを、暴力です)