てのひらを、かえして

知的怠惰の集積地よりお送りする、手斧と料理のふんわりブログ。

タスク管理失敗の専門家だ、任せてくれ。

理想のタスク管理うんぬんが先日はてブやX(旧Twitter)で流れてきたことをきっかけとして話を始める。任せてくれ、タスク管理の失敗に関しては経験がいっぱいあるんだ。
 
年末年始のはてブには、2023年のまとめや2024年の抱負のエントリがいくつもながれてきていて、それを観ながらやりたいことリストをつらつらと書いた。それについてのエントリも一回書いたが没にした。でもリスト自体はメモにしたので自分のやりたいこと/いつかやるのリストができて、手元にある。やりたいこと100個挙げるなんて無理で、7つくらい。ほかにもやりたいことが見つかったら、おいおい追加していこうと思う。

また、年末年始というものは小人閑居して不善をなすという通り、手持ち無沙汰に任せて生活の見直しなんかを始めるものだ。その流れで、やりたいことリストもタスク管理の中に取り合えずいれてみた。そうするとなんとなく流れでやりたいことを分割して具体的な方法を考え、タスク管理全体が自分のやりたいことを進めるためのものになったところがある。

何を当たり前のことを、と笑われるかもしれないが、まあそれを恐れずに書いていく。車輪は何回発明してもいいもんですからね。

これは決して自分だけが持ってる感覚ではないと思うのだが「タスク管理をして、時間が余るようになったら自分のことをしよう」という考え方をずっとしていて、そのうえで「自分の時間がない」「もっと効率よくできるようになったらやりたいことをやろう」そう考えていた。
そのうち、何をやっていても、自分のやりたいことをできていない、だとか、いつまでたってもやるべきことが終わらないという無力感にとらわれるようになった。そうなって、タスク管理がおろそかになっていく。いつまでも残る同じタスクに飽き飽きしてみてみぬふりをするようになる。


「全部終わらせたら、あまりの時間でやろう」というのは一見するといい考えに見える。謙虚で道徳的で、それでいてすべての用事を終わらせた後は残りの時間を全部自分のものにしてかまわない。なんてすばらしい! いや、そうではない。この考えは自分の用事を疎外していて、その時点で自分の人生以外のことが終わらなくなってしまう。なぜならやらなければならないことは生きている限り毎日追加されるからだ。

いつもの三日坊主タスク管理破綻とどう違うんだ、と言われるとまあ、考え方が違うんですよ! カテジナさん! としか言いようがないが、

やりたいことを実現しようとする自分自身が構えてしまうハードルがあって、「やりたいこと」そのものに「やりたくなさ」があるのだ。我ながら何を言っていやるのかわからないが、これはセルフハンディキャッピング、というものか、「これを実現出来たら良くなってたのしいだろうな」という空想はその空想自体がが楽しくてしかも苦労がないのだ。味は薄いけどずっとしゃぶっていられる飴みたいなところがあるのでそこでずっと停滞してしまう。

この壁というかハードルというかの障害を、何度も失敗しているとはいえ、いつも使っている「タスク管理」という広義のツールの中に入れてしまって、いつもやっているルートに乗せることで乗り越えることができているように思えるのだ。

自分のやりたいことを決めて、それをいつやるか設定すると、なんとなくだが雑用も「やりたいこと」のための自発的な行動のように思えてくるから不思議だ。

過度な謙虚さ、過度な謙遜というのは良くねえな、というところを今年の抱負としていく。