てのひらを、かえして

知的怠惰の集積地よりお送りする、手斧と料理のふんわりブログ。

あの夏よりも向こう側、タピオカよりもこちら側

 

「それはね、夏に鍋を食べるようなことだよ」諭すようにいう声が、私の後方、カフェのボックス席から聞こえてきて鼻白んだ。

「なんだァ? てめェ…」と愚地独歩が切れる一コマみたいに、振り返りざまにすごもうとする自分を押さえつけるのには労力を要した。「別に夏に鍋食べてもいいじゃない」言い返す声が同じボックスから聞こえてきて、私は内心そうだそうだと応援のエールを送った。

 

夏に鍋をたべたっていいじゃないか、私は現にそうしてきたし、そうするしかなかった。草いきれでむせそうなあの夏、徒歩20分かけないとコンビニはないし車で出ないと外食なんておぼつかないそんな田舎で単身赴任していた。「単身赴任なんて何でも自由にできていいだろう」赴任先の上司はそう言って笑ったが、前任者は外食とコンビニ弁当で体を壊して入院していた。昨今問題になっているウィークリーマンションの設備や持ち込める貧弱な道具では早々手の込んだ料理は作れない。そんな中で毎日ある程度の量の野菜を食べる術としては鍋くらいしか私は知らない。


要はメインの菜物をどうにかすれば夏でも鍋は食べられる。ホウレンソウや小松菜だって常夜鍋で食べる。水菜は植物なのにいいだしが出る。豆苗を豆乳鍋で煮てみたら案外と土臭さが減ってそれなりにおいしい。それに今はいろいろと技術が進んで価格さえ覚悟すれば真夏であっても白菜を食べられる。


出汁はなんだっていい、肉や魚のイノシン酸に植物のグルタミン酸、キノコのグアニル酸。貝からはコハク酸が出る。うまみ成分には相乗作用があるから、最低でも2つ、出来たら3つをそろえるように選んでいた。
ポーション型やブロック型の簡便なスープの素はさすがに夏場は同じくポーション型のステーキソースに売り場を譲ってしまうが、シーズンの終わりに値下げになったそれをまとめて買い込んでいた。賞味期限の日付が12月で、次のシーズンの終わりに間に合わないから。そんな理由で値下げされていたのだろう。もっとも、そのポーションの賞味期限が来る前に単身赴任は終わってしまったが。


「マロニーちゃんも同じ澱粉だな」ミルクティーの中に沈んだ最後のタピオカを吸い上げていた。背後の席の話題は既に移り変わっていた。マロニーちゃんと材料が同じなら鍋にタピオカを入れてみよう。デイリーポータルZめいたアイデアを思い付いたが恐らく実行はしない。また夏が来る。でももうあの夏みたいに孤独に任せた自由な鍋はつくらない。次に作る鍋は寒くなったころ、家族のために作る鍋だ。