周回遅れだけどこっそりと吐き出しておこう。
ネ
タ
バ
レ
あ
り
〼
パリ解放戦
冒頭で俺の見たかったEVAは終わっている。見てるだけで痺れるような映像をこれでもかってぶち込まれたかった。本当に冒頭12分はワクワクする。
4444Cって見たときに「ザンネックだ!」ってならなかった? 俺はなった。長く伸びた砲身の両隣に粒子加速器があって高火力狙撃してくるのこれはもうザンネックですよ。原画は遅くなかったんだな。
脚付きEVAのラインダンス…というかカンカンなのかパリだけに。「ある程度独自で動いてるんだけどケーブルに接続されてるからその動きが抑制されてる」みたいな感じが出せるのすごいなって思う。
村
昭和の家屋、薄暗い照明、錆の浮いた車両とコンテナを利用した家。とことん好きなものを詰め込んだ「箱庭療法」だと感じた。最後のほうミニチュアバトルしてたときも出てきてたもんね。
この1週間でさんざんネタにされつくしたアヤナミ農法(仮)ですが、虫のいない農業ですねこれ。まぁそこら辺の虫なんてニアサーで全部死滅したんですよくらいの言い訳は立つかと思うけれどもそれにしてもとことんまで虫がいません。猫も孕むし人も子を産むし温泉ペンギンは群れを成すけど虫はいない。やはり箱庭ですねこれ。
さすがに箱根なのでどこかにまだ源泉が沸いててそれで繁殖していられるのかあの温泉ペンギンども。
どっかのブログのブコメで書いたけどアスカが切れてレーション口にぶち込むシーンはオネアミスのあのシーンのオマージュだったのかしらとは思う。いい動きしてたよね。動画として面白かったのはここまで。オネアミスの翼、親父が「これは見とけ」って俺に見せたんだよな確か。
育児シーンへの恨み言は他の人に任せる。あのシーンを見ながら何故か伊藤理佐と吉田戦車夫妻、そのエッセイコミック作品のことを思い出していた。なめんじゃねえ、もう「あーちゃん」はこんなに大きくなったんだぞ。関係ないけど今の「おかあさんといっしょ」のダンス曲の作詞が吉田戦車だが夫妻のエッセイを読んでるとそこここに作中と同じエッセンスみたいなのを感じておもしろくなる。
この辺を見ながらいやーな気持ちになった。「大人になるってそういうことねわかるわかる」って一回思ってしまって、その優越感を感じてしまう自分自身に罪悪感があった。
俺とエヴァの話
最初のイメージボードのころってまだEVAが白と朱で槍持って、よくわからんでけえビル(今だったらドバイあたりで建ってそう)の間でこれまたよくわからん赤い球と戦っててかっこよかった。これまで見たことのないものが来るって感じがすごかった。綾波はまだ黒髪おかっぱだったんだよ! 使徒ってなに? 天使と戦うの?! ってなってめちゃめちゃ興奮した。
それからほどなくして少年エースで連載が始まって、そう少年エース! 創刊号から読んでたけど2010年代のそれと違ってたよ。連載の目玉がBt’Xとグルマンくんだぜ。クロボンも連載で読んだ。そう連載開始のころにはもうEVAは今のカラーリングで物凄いがっかりしたのを覚えてるあの白に朱が入ったカラーリングの方が絶対かっこよかっただろ。
あの頃の女キャラわりとシャギー入ってるの多かったよな。ミレーヌジーナスとか。
そんでカラーリングにがっかりしつつもその連載開始第一回のシンジのモノローグに痺れたよ! ダウナーであきらめきって達観したようなロボットアニメの主人公を俺は他に知らなかった。ただアニメはリアルタイムで見てない。
田舎だったからテレ東なんてあるの知らなかったよ俺は。だからちゃんと通しで見たのはたしか高校入ってからだったな。2ndImpressionもどこかほかに隠し√ないか必死でイベント埋めた。マユミちゃんどこ行っちゃったんだろうなあ。もしかして第三村でいも掘ってたりするのかしら。
旧劇の時はまずその映像に圧倒されてて「きもちわるい」をどうやって処理していいかわからなかった。「オタクをやめて現実に戻れ」って言われても、じゃあどうしろってんだよって憤りはあった覚えがある。なんだてめえ卒業したから「ラブ&ポップ」ですかそうですか。ドォーモも予算100万円あったんだぞちゃんと使え、サッポロポテトバーベキュー味2袋じゃねえよ。
「大人になれ、現実に戻れ」からはだいぶ様変わりして「生きていくこともそう悪くはない」ということを見せてきていた。「じゃあどうすれば? 仕事を見つけて恋人と結ばれて子供を作れ、それが幸せだって言いたいの?」という反発はあるだろうな、と鑑賞中に思ってて「ここから零れ落ちるひともいるよな」とも思ってた。でも考えてみればカントク夫妻には子供もいないし、そのメッセージで稲作波が成長してシンジが立ち直るのはおかしい。ここをひとことのメッセージで俺はまとめきれてない。しいて言えば「人の間にいろ」とか「役割を持て、それを果たそうとしろ」とかかなあと思う。メッセージというよりはメソッドというべきか。ダメな時は誰かを頼れ、恩には返し、期待される役割を務めようとする。そういうやり方みたいなものを示してきたのかと思う。でもそれはこの映画で決着をつけようと見に来た俺たちは曲がりなりにも何とかこなしてきているはずだ。
それにしてもシンジ、立ち直るや否や即、まるで当然のように皿洗いしてたな。
ゲンドウの苦悩、美化されすぎてて笑ってしまった。ああまではなれないよ。でもだからこそ「知識とピアノ」マンですらこうやって生きてるんだからなんとかなるよ、というもんなんだと思う。生きろ→いざ、生きめやも→からのシン・エヴァですよ。
でもウルトラマンになった時は楽しくみんなでやったんじゃないの?
安心しろ。さらばのあとは新たなる旅立ちだと相場が決まってる。