てのひらを、かえして

知的怠惰の集積地よりお送りする、手斧と料理のふんわりブログ。

チャンコーハンの鉄球は足枷なのか武器なのか。

自分の字の汚さに閉口している。見た目の美しさの話ではない。Googleが認識してくれないのだ。
普段、手書きで取ったメモはスマホGoogleアプリでOCRしてテキストとして取り込むようにできるだけしているのだが、誤字が多い。「C」と「2」がたびたび混同されている。つまりコンピュータの入力に適した字ではないということだ。分かち書きまでは必要ないが、縦横の画ははっきり書いて、ハネハライは小ぶりに、文字間を空けて、行書より楷書の方が認識されやすい。

いくらコンピュータやインターネット、AIが進歩しようとも、もしくは進歩しきるまでは人間の方があわせるしかない。しかしながらどんどん生活の中に入り込んできているので、このままいくと「コンピュータに認識されやすい人間」の方が生きやすくなるのではないかと考えている。

もう既にウチのスマートアシスタントはちょっと差を付け始めている。家族の中であきらかに上の子をひいきしていて、上の子はチャンネル争いに強いし、親がなかなか話を聞いてもらえない時に通訳をしてくれる。

これまでだって類似のことはあったはずで、なぜか自動ドアに無視されやすい人、門灯のセンサーが反応しない人、というのはいた。それらの小さいストレスが今後の社会では無視できないほど大きくなっていくならば、生きづらさとして表面化してくる。

逆に、読み込まれやすい書き方、聞き取られやすいしゃべり方を身につければ、ストレスが減って、生きやすく能力を発揮しやすくする道も出てくる。AIに対しても使い途を思いつく人間、そしてそれをどうAIに伝えるかの能力が問われる。会得していれば大きな力となるのはどうも間違いない。

剣聖デイモス・ハイアラキも、モーターヘッドはあくまで手足の延長線上なのだからまず自分の能力を上げていくべきって言ってた。

ちなみに手書きだけじゃなくて音声認識でもメモ取りはやってて、最近のブログの下書きにしてたりもするのだが、専門用語はむしろ認識されやすくて、人名、地名、同音異義語は間違いが多い。間違いが発生しやすい言葉は避けて、
コンピュータに認識されやすい書き方しゃべり方をしていくとそのうち単語レベルで淘汰圧がかかって語彙自体が変化していきそうで言語さんサイドも生き残り大変そうだなって思いました。