てのひらを、かえして

知的怠惰の集積地よりお送りする、手斧と料理のふんわりブログ。

日記230912 せめてなりたや…

気分がすぐれない。と言ってもいつものことで、毎日同じような肉体労働をこのさきずっと体が動く限り続けるのだろうなと思うと気がめいる。
もうこの人生この後になにか好転するようなことはないし、好転するとしてなにが良くなればいいのかわからない。ので、これはまあいつもの気鬱やまい、くらいでいいと思う。実際、好転したとしてなにがどうなればいいかよくわかっていない。もしできるなら、本を買って温泉旅行いって夜は刺身と鍋でしこたま酒飲んで次の日の朝飯はバイキングだといいなあ、でもお膳できっちり出てくるのもいいかも。焼き魚だな。そこから一風呂浴びて帰ってくるか。後は子供達がなにになりたいと言っても一回は失敗させてあげられるだけのお金のゆとりが欲しい。それから、朝起きてから寝るまでにあまり時間的余裕がなくてつらいのでそこんとこなんとかなって欲しい。なんか具体的な生活の改善点が出て来たな。今現在の家事と時間的余裕の無さについてはまた別にエントリにしよう。

別にこうやって書いててもたくさんの人に求められているわけではないし、いつか誰かの目に留まると言うほどでもない。ちょっとだけ物を書いてみる気になっているおじさんと言うだけで、自分史をまとめて自費出版する人の方がよほどに立派である。いっそ文フリにでたらいいのにな。自費出版されたはいいけど行き場のない個人史を集めた図書館とか作ったらおもしろそう。もう既に文フリにでてるし個人史図書館もあるよとおっしゃる方はどうぞこちらからご応募ください。

世の中で個人史自費出版に大金つぎ込ませる商売に引っかかる人をバカだなって俺はバカにして笑っていた。自分に都合のいい俺TSUEE物語を過去の栄光を自慢話を書き付けて、作家気取りになって、それが売れて一躍ベストセラーなんて捕らぬ狸の皮算用をして愚かなことだと笑っていた、けれども。おだてられて装丁豪華にして部数盛りすぎちゃったとこは笑われても仕方ないし、それでも生活できてるんなら何年かしたらいい笑い話で終わるとおもう。今の収入じゃそんなこともおぼつきゃしねぇ。

ちなみにインターネットで調べたら自費出版の市場規模が600億円ってのが相場らしいんだけど2007年の調査だと書いてあったがその後の数字がないというのは萎む一方なんだろう。

それとは別に、自費出版できる文字数の個人史を書けるのってすごいことだ。ちゃんとこれまでの人生の記録をつけてきている人って事だろ? もしくはそれを克明に覚えている人とかもしれないが。申し訳ないが自分はここ10年のことすらだいぶ危うい。こないだも上の子の名付けの経緯がどうだったかで配偶者と意見がぶつかった。どうも記憶違いしていたらしい。この勢いで自分の人生も忘れていき、自分の名前も住んでるとこも忘れてさのよいよいとなっていくのだ。週一くらいで書いておいたら死ぬ頃には1冊分くらいの分量になってたりしないかしら。
最近そういうのが身近にあったからちょっと考えてしまう。もし俺の葬式に来てくれたならば、精進落としの席でこのブログ読んで笑ってくれたりしないかしら。

せめてなりたや個人史自費出版おじさんに。